GOJARAPPE DAYS ~つくばの備忘録~

フリーランスライターです。ALL ABOUT ボランティアガイドサイトも担当しています。ブログでは気の向くままに好きなことを書いています

サツマイモを植える

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前回アップした「まるごと佐原おやさい教室」の際に、香取市の佐原農産物供給センターの生産者さんからいただいたサツマイモの苗。昼食の交流会の席で、一緒になったとき、「家庭菜園をしている組合員さんがいるようなので」よかったらと、わざわざ届けてくれたそうだ。たぶん、私たちのテーブルだな。私ともう一家族の奥さんとで、家庭菜園の疑問をいろいろぶつけたのでw

品種は、シルクスイート。買うと高いらしい。焼き芋にいいらしい。

「乾燥気味で育てたほうがいい」「肥料袋にチッソ分のない土を入れるのがいちばんいい」「これをそのまま土にさせばいい」等々、パルの人に教わるも、そんな土、合ったかな?と若干不安。とりあえず、4本ほどいただいてきた。

 

その足で、圏央道を通って、実家に寄った。米をもらうのが目的。トランクをあけて米を載せようとしたところ、「あら、サツマイモ、育てるの?」と、隅っこに置いていたサツマイモの苗を母親がめざとく見つける。車から3メートルくらい離れているのに、よく見つけるなと驚きつつ、「うん、肥料袋に、チッソ分の抜けた土を入れて育てるといいって言われた」などと答えると、がぜん、生き生きする母。

「じゃ、この肥やし袋あげるから」「畑まで乗せてってくれれば土もあげるから」

と、畑の土をもらうことが即決。曲がった腰がまっすぐになるんじゃないかという勢いの母を車にのせ、畑に行くと、肥料袋2つ分に、豆を育てたあとの土を入れてくれる。

よくわからないけれど、助かったわってことで、肥料袋2つに、2本ずつ差し、しおれた葉が元気になったほうだけを、それぞれ1本残した。

 間引いた2本もなんかもったいないので、培養土の入っていた袋に、パンジーを植えたプランターに残っていた土を入れてみた。こっちも根付いたほうを優先的に残すつもりだけれど、どうだろう。

家庭菜園も一通り育てて、今年もミニトマトとピーマン、バジル等々を育てているが、だいたいどのくらい採れるかも把握しているし、少々、マンネリ気味だったのだが、サツマイモが加わったことで、新鮮さアップで、楽しくなってきた。調べたら、肥料袋だと3本くらい採れるらしい。3本×3袋。9本採れたら嬉しいぞ、おいしくなあれとニマニマしながら、苗を眺めている。

まるごと佐原おやさい教室 第1回

パルシステム千葉のイベント「まるごと佐原おやさい教室」に参加し、産直産地のひとつ、香取市佐原農産物供給センターに行ってきた。12月までの全4回、人参作りを通して有機栽培、無農薬を学ぶというもの。こういうイベントは大人ひとりではなかなかハードルが高いので、高校生の娘を誘って参加した。娘とこういうイベントに参加するのも、かなり久しぶりでお母さんは割とうれしい。

 

無農薬や減農薬、あるいは有機栽培って、手法がいろいろあるのは知っているつもりだけれど、具体的にたとえばどんな風に?と言われても割とふわっとしたことしか言えないような気がする。話を聞くとなるほどと思うんだけれど、それでも、ああこういうことかと、なかなか実感できないので、それを知るいい機会かなと。

 

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案内された畑は、 すでにロータリーで整地されていた。ここにこれから肥料を施し、種まきの準備をするのを手伝わせていただくという段取りだった。本当に、お邪魔虫で、手伝わせていただくという程度しかできない。

 

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ちなみに、畑には1週間前まで、こんな風に牧草が植えられていたそう。この牧草を刈り取り、1週間ほど置き、緑肥として土に混ぜ込んだのが最初の写真。今年は空梅雨気味だったが、数日前に雨が降ったことで、種まきができる環境になったと教えてくれた。その理由は後述。

 

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肥料のひとつ。有機質肥料というと、堆肥や鶏糞くらいのイメージしかないかもだけれど、肥料の三要素「窒素(N)・リン酸(P)・カリ(K)」を満たすために有機資材を使った肥料もいろいろある。

まぁ当たり前なんだけどね。前にホームセンターで有機質肥料と書いてある袋を指さして、こういうのじゃなくて、有機栽培用の肥料が欲しいのよねとおっしゃっていたご婦人がいたもんで一応。ああ、こういういかにも肥料っていう形になると有機じゃないと思うんだなぁと発見だったという余談。

見せていただいたものには石灰の代わりに古代珊瑚礁石灰岩(だっけかな)とか、パルシステムオリジナル肥料とかもあって、へぇ~~~と驚いた。それを私たちがざっとまき(素人だし、未就学児わんさかだったし)、その後、農家さんがていねいに施してくれた。

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施肥後、再び、ロータリーで整地。もちろん、農家さんが。その間は、人参やじゃがいもの収穫体験をさせていただく。

昨年、北海道を直撃した台風で、じゃがいも畑がかなり深刻な被害を受けたことで、今年は全国的に種芋が不足している。ここでも、例年植えている品種が充分な量が手に入らず、新品種を植えてみたものの、土地に合わなかったようでうまく実がつかないのだそうだ。

実際に収穫体験させてもらったものは、ほんの小さいジャガイモが1個か2個申し訳程度についていたくらいがほとんどで、種芋が土中で腐ってしまっていたのもいくつもあって、ひゃ~、ひゃ~と心の中で呟いた。

 

農業は難しいね。ギャンブルだね。

 

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そして整地後、農家さんがマルチを敷いてくれた。むむむ?穴がないですが?と思う素人。

ここに種を播くためのマルチではなく、この状態で1ヶ月程度放置し、殺菌する土壌燻蒸剤の代わりだ。地温が70度くらいまで上がることで雑草の種や土中のセンチュウなど熱で処理することができる。太陽熱マルチ殺草処理という割と一般的な有機農法の手法なのだそうだ。

参考サイト→雑草対策に太陽熱マルチ殺草処理(太陽熱土壌消毒)を試してみる - やまむファーム

1ヶ月後、通路は草ボウボウになっているけれど、マルチの下はきれいなまま。そこに人参の種をまく。

 

1ヶ月か……そんなにかかるんだなと驚く。肥料が効くまでも時間がかかるし、殺菌効果を得るにも時間がかかるんだろうな。慣行栽培だったら、肥料を施して、1週間くらい寝かせておけば種まきができるだろうに。

仮にこの1ヶ月の間に雨が多すぎると、地温が上がらず、ビニールを破って草が生えてきてしまい、種まきが難しいのだとか。また、数日前に雨が降ったからなんとかマルチを敷いたけれど乾燥したままではダメ。適度な湿度がないと、殺菌効果が薄いのだそう。実際に何回かに1回は思うようにいかないとのことだった。

有機農法はやっぱり手間暇かかるなと改めて思う。手間がかかるのに、確実ではないというのも大変な点なんだろうな。

 

農業は難しいね。ギャンブルだね(二度目w)

 

個人的には、慣行栽培も厳しい農薬の基準のもとに行われているし、できるだけ化学肥料などに頼らずに土作りに手間暇かけている点は同じだと思っている。それは市場に農作物という商品を流通させる産業として大事なことで、その努力があるからこそ、一定の品質の農作物が安定供給され、一億人の胃袋が満たされているわけで。

そこは否定してはいけないことだと思っている。

その上で、有機栽培ならではの手法やその苦労、それをしてでも有機に取り組み、消費者の安全、安心を求める声に応えたいという産地の思いは正しく知ることが大事なことなのよねなどと考えながら帰ってきた。本当に大変だよ、農業はギャンブルだよ(三度目w)

 

そんなわけで次回は7月。無事に種まきできますように。

 

梅仕事2017

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今年も無事に梅仕事を終えたので、記録用。

梅干し5kgに、200円で投げ売りしてた青梅700gで、梅味噌。

梅と同量の味噌をいれて、砂糖は梅の60%。瓶に入れるのが面倒なので味噌を小分けにしているジップロックにほうりこんだ。

去年、仕込み過ぎて、もてあまし気味の味噌の消費にもなり、良かったわ。

 

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2日経って、見てみたら、梅酢が上がっていた。こっちは重しが、軽めなので梅酢の上がりが遅いかな…と、ちょっと心配。もう一つの瓶に入れている方は、どーんとした重しをのせているのでひたひたになるくらいに梅酢が上がっているのを確認しているのでなおさら。まぁ、様子を見ますが。

 

 

 

館山

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5月の連休の写真を編集途中で上げ損なったので、今さらだけど、一応、記録用に。

3日は柏レイソルVSジュビロ磐田の試合を見に行き、4日は館山に。館山初めて。天気も良く、海が本当にきれいで、気持ちよかった!海有り県の海無し地域に生まれ育ち、今も住んでるので、海の近くの暮らしは憧れる。

 

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道の駅ならぬ、渚の駅。さかなクンが名誉駅長らしい。

 

 

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洲崎灯台。写真に撮るとビックリするくらい空、青し。ちなみに加工してません

 

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 ちょうどテングサの収穫期らしく、あちらこちらの漁師さんの庭先で、こんな風景も。農家の庭先とは風景が違うけれど、こういう手仕事が女の役目なのはどこも同じ。

ちなみに、ところてんは苦手なので食べないけれど、サラダとしてなら割と好き。

 

千葉県、広いなぁ。知らないところだらけだわ。

 

 

 

津波のバカヤローッ!

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週末、娘と宮城に行ってきた。初日は、NEWSの仙台公演でジャニヲタをし、2日目はレンタカーを借りて、三陸自動車道を飛ばして、南三陸町志津川へ。なんだか、感情が忙しく、食い合わせがいいような、悪いようなよくわからないスケジュールだが、前々から一度東日本大震災の被災地には連れていきたいと思っていたので、いい機会かなと思い。

 

娘に聞くと南三陸町に行ってみたいという。ならば、被災地を知る語り部ツアーもいくつかあるようなので、それに参加して、その後、「さんさん商店街」に行き、おいしい魚介を食べてくるかという計画。

 

南三陸町は、震災の年の夏に気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター、通称『はまセン』を立ち上げた岐阜県会議員の川上哲也さんの活動を取材させていただいた際に何度か足を運んで以来だ。

 

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これは、震災から4ヶ月くらい経ったころ。車で通りかかったときに、あれが南三陸町の防災庁舎か……。ということはここは町の中心部だったんだ……。と気づき、遠くから撮った1枚。

 

現在は、町のあちらこちらで工事が行われていて、カーナビに案内された集合場所の観光協会も見逃してしまうほど、道路が入り組んでいた。津波で浸水した地域を10mほどかさ上げをし、そこに商業施設を集中させ、住居は山を切り開いて作った高台に移す計画なのだそうだ。10mと簡単に書いちゃうけど、3階建てのビルくらいかな。それだけの土を盛り土して、その上にできる町は、全く新しい町。だけれど、この町の人にとってはやっぱりふるさとなんだよね。

 

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語り部ツアーは観光協会の職員の方の案内。2人のお子さんのお母さんで、海のすぐ近くにあった自宅は流されてしまったものの、ご家族、4人はご無事だったそうだ。うかがうと、少しでもタイミングがずれていたら…というギリギリの体験をされたそう。家を失い、いまは、隣町に住み、そこから通っている。そんな話をお聞きしながら志津川中学校へ続く、階段を上る。

 

あの日、南三陸町は春が来たかのようなポカポカ陽気だったそうだ。それが、地震のあとは一転して、空が曇り、ポタポタと雪も落ちてきたのだという。

「まさに、天変地異です。」

そう話していたが、天と地が怒り狂っているかのようななか、何度も何度も押し寄せる津波にどんな思いでいたことか… 。

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志津川は、1960年のチリ地震の教訓で、学校はみな高台に、移したんだそうだ。長い長い階段の途中、

南三陸町津波は高さ16メートルに達したんです。16メートルっていうとここ辺り」

と、教えられ、立ち止まったところから下を見た。高い…。海は数キロ先なのに、川をさかのぼりこの辺りにまで、そんな高さの津波が押し寄せたなんて…津波がどれほどのものだったか、改めて驚かされた。

 

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 志津川中学校から、町を一望した。

防災庁舎を遠くに見ながら、あの日のことや、町長さんの話などをうかがう。

 

海は穏やかで、春の日差しを受けキラキラ輝いていた。今は、海のない町に住む高3のお嬢さんが、ときどき『海がみたい!』と言うので、車を飛ばして海を見に来るのだそう。2人で海をぼんやりと眺め、ああスッキリしたと、帰るという。

 

そのお嬢さんが小学生だった当時、震災後すぐに書いたというメモを見せていただいた。

【失ったもの、買う物 】と書かれたメモには、アップライトピアノからはじまり失ったものが思いつくままに書かれていた。特に太く大きく書かれていたのがドライマンゴー。 後でゆっくり食べようと思っていた大好きなドライマンゴーが流されてしまって悔しかったんだね。昨日残した玉子焼きなんていうのもあった。

 

一人ひとりの当たり前の日常が、一瞬にして失われたことが、これほどリアルに伝わる言葉もないかもしれないな。


そして、最後は津波のバカヤローと書かれていた。なんか、お嬢さんの気持ちが、痛いほど伝わってきた…。

 

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その後、高さ10メートルに かさ上げされた場所に、新しくできたさんさん商店街に、足を運び、おいしいお魚を食べて帰ってきたわけですわ。今度はもうちょっとゆっくり行きたいね。

『DAVID BOWIE is』(デヴィッド・ボウイ大回顧展)

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昨日、娘とこれ↓

davidbowieis.jp

を見て来た。今どきの高校生にはつまらないかなと懸念したが、いまでも通用するようなステージ衣装や、当時の映像、楽曲を楽しんでいたのでいっしょに行ってやっぱりよかったわ。衣装を見ながら、重そうだね。踊るの大変じゃない?なんて言う辺りは、さすがジャニオタ……。デヴィッド・ボウイは踊るけど、ジャニーズのようなダンスはしなかったんだよ……などとマジで答える。変なやりとり。

 

とくに関心をもってたのは山本寛斎さんの衣装。今見ても、斬新だね〜。天才と天才の化学反応はすごいね!歌舞伎に通じる衣装だねなどと、ふたりで興奮する。山本寛斎さんのインタビューも上映されていたけれど、高度成長をへて日本が世界に輸出したのは工業製品だけではなく、ファッションに代表される文化であったことを改めて思う。

 

それと、西ドイツ側のベルリンの壁の前でのライブ。山田孝之さんのナレーションのビデオを食い入るように見ていた。今でいえば板門店の韓国側でライブを行うような感じ? 欧米のミュージシャンってこういう政治的な主張をするんだ!という驚きがあったようだ。

 

確かに、日本だとミュージシャンはそういう発言をあまりしないよね。でもデヴィッド・ボウイの影響を大いに受けた忌野清志郎さんも、あの浮かれた1980年代に反原発を歌ったり、それを販売しなかったレコード会社や、放送しなかったラジオ局をTVの生放送で揶揄したり、なかなか骨のある奴だったんだよ…などと思い出したり。浮かれた時代だったからできた反骨なのかもしれないな。今だったら、清志郎さんはなにを歌ったかな。

 

と横道にそれたが、私自身は、デヴィッド・ボウイのどんぴしゃ世代ではなく、後追いでがっつりはまったこともないので、そんなに詳しくはないと思っていたが、ああ、これ懐かしい。これも知っているというのが多かったのが自分でも意外だった。私レベルでも知っていることだけじゃなく、もっと、ディープな一面を見せてくれてもよかったのに。

 

そして、本当に美しいなとうっとり。若い頃もだけれど、年を重ねてスーツを着て歌う姿も本当に美しくて粋で、うっとり(二度目w)

 

若いころに出会った人たちが、どんどん歴史の中の人たちになっていくのはさびしいことだね。でも、音楽が今より文化に大きな影響を与えていた時代を体感できたのは、幸せなことだなと思う。

 

記念に何かグッズを買おうかと思ったが、あまり触手がのびず、結局、こんなムック本を買ってきた。朝日、神々ってくくり、好きだよね。

 

ロックの神々 HEROES (週刊朝日ムック)

ロックの神々 HEROES (週刊朝日ムック)

 

 

 

24時間テレビ雑感

8月27日、28日に放映された24時間テレビを見た。もちろん、全部じゃないけど。例年、最後のマラソンゴールを見るともなしに見るくらいで、正直、ほとんど見た記憶がない。昨日もリビングで仕事をしながら、テレビをつけたり消したりするという見方だったので断片的だが、それでも、いろいろ感じたことも多いので、思いつくままに。

 

感想を一言でいうと、忙しい番組だった。内容がぎっしり詰まっていて、どれも駆け足で流れていく感があり、イベント会場で行われている各ブースの催しを見ているような感覚になった。高校生の合唱選手権などはもうちょっとゆっくり見ていたかったのに、テレビのタイムスケジュールがそれを許してくれないのはなんとも残念。合唱選手権、またやってくれないかな。すがすがしくてとてもよかった。

 

そして番組全体のトーンとしては明るく、言われているほどお涙ちょうだいでもないし、感動のおしつけばかりでもないなとも思った。この辺りは人によって受け取り方が異なるし、制作側がどうしても「いい話」「ひたむきに頑張ってる」「成功してバンザイ」にまとめてしまう傾向があるので、なかなか難しいところではある。ただ、毎年必ず偽善だなんだと批判される番組に出ることの意味には、障害があるから頑張ってるのではなく「障害があっても普通に生きている、それは誰でも同じであることを、知って欲しい」という出演する側の思いや覚悟もあるはずで、そこはしっかり受け止めたいと思う。

 

また偽善だなんだと安易に批判する前に、こちら側に「見ると辛い。見世物にしないでくれ」という気持ちはないかという問いかけも必要なのかもしれない。それは障害者の「頑張り」を見て「力をもらった」と思う気持ちと背中合わせなんじゃないかなという気もする。

 

個人的によかったと思ったのは、福山型筋ジストロフィーという難病の女の子のおひるねアート、グレースさんという方のお笑い企画、腕に障害のある少女と芸人さんやメダリストの遠泳、よさこい、ダーツの旅……あたりかな。おひるねアートは気持ちが温かくなるような作品に仕上がり、VTRを見ている女の子も家族も本当にいい笑顔だった。こういう笑顔になれることが一番。そんな挑戦ができてよかったねと、ウルウルするような企画だった。

 

遠泳は、こんな海が荒れている中を……と最初は思ったが、メダリストと芸人さんと少女がリレーしながら泳ぐのは、足りないところを補いあいながらも、水平な関係の中で、力を発揮しあっているのが伝わってきた。もともと少女がかなりのスイマーであるからこそ成立した内容であるにしても、共生(共に生きる)ってこういうことなんじゃないかなと思った。24時間テレビ名物のマラソンもひとりで100㎞を走るより、駅伝のようにいろいろな人が繋いでいくような形にすると、その意義が変わるような気がする。

 

もちろん、すべてのコーナーがよかったかといえば、そうでもない。むむ、これはどうなんだろうという企画もあった。あえてどの企画とは書かないけれど、本人の意思を超えたことを「挑戦したい」と親御さんが言わせてない?その言葉にテレビ局が乗っかってない?と眉をひそめてしまったものもあった。本当のところはわからないが、そんな印象を抱いてしまった。

 

そう思ってしまうか否かの差は、当事者や周囲の人間の映し出されるものから何を感じ取るかの差なのだろう。見ている側はテレビに映し出される表情や言動から情報を得てしまうし、ちょっとした言葉に疑問を持ってしまったりもする。どんなに言葉を繕っても、そこで感じた疑問や印象はなかなかぬぐえない。その意味で、テレビって正直で、恐いメディアだなとも思う。

 

視聴者だって安易な感動話を見たいわけでは決してないし、感動を強制されるような展開は不快に思う。こういった番組の最終的な目的は、障害の有無に関わらず、皆が当たり前に生きていることを視聴者に伝えることであってほしいし、そういう社会のほうが、私たちも生きやすいんだよということも含めて伝わってくるような内容であってほしい。

 

いろいろ書いたけれど、去年、記事、24時間テレビは本当に地球を救っているのか? [ボランティア] All Aboutにも書いたように、全国ネットのテレビ局が40年近くチャリティ番組を続けているのはやっぱりすごいことと改めて思った。そのことに敬意を払いながらも、さまざまな声を受け止め、番組が良い方向に進化するといいんじゃないかなと思う。

 

などと、きれいにまとめてしまうが……。こういう紋切り型になりがちなところが「伝える」ことを生業にする人間の悪いくせかもしれないんだよな……。