農業系ライターのブログ

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習い事のやめさせ方

春から高校生になった娘が休んでいたピアノ教室にまた通うことになった。中学時代は部活漬けだったが、高校では同じ部活は選ばなかった。練習量の軽めの部活を選び、自分の時間が増えた分、真面目にやるから、やらせてくれという。もちろん、音大に行くなんていう不遜な考えは1ミリもない。あくまでも趣味としてだ。

 

趣味とはいえ、月謝の負担を考えると、「習いたいなら、ちゃんとやってよ。中途半端にやるならお金は出さないからね」と、きつめに釘を刺している。そのせいか、私の前では、思い出したようにハノンで指ならしをしたり、発表会で弾いた曲を奏でてみたりしている。あくまでも、私の前では……だが。

 

ピアノはさほど上手くはないが、励まし上手な先生のおかげでコツコツと練習しながら、中3の6月頃までは月に数回のレッスンになんとか通っていた。しかし、学校と部活と塾とで手一杯になってしまい、こりゃ無理だと親の判断で、やめさせた。本人は続けたがったのだが「受験が終わって、やりたかったら、またやればいいから。とりあえず、休もう」と言って、納得させたという経緯がある。先生も「待ってるからね」と言ってくださったので、ピアノも好きだが、ピアノ教室の先生が大好きというのも再開したい理由なのだろう。

 

保育園の頃から、お絵かき教室に始まり、ピアノ、水泳、習字と、習い事は、それなりにやらせてきた。家庭や学校では体験できないようなことをする”時間”と思ってきたので、上達云々に過度に期待せずに、やりたいと言い出したことはできるだけ習いに行かせた。そして、その経験から思うのは、「やめることの難しさ」だ。「やめさせる」と置き換えてもいいかもしれない。


習い始めは、子にも親にも、新しいことへのワクワク感や、上達していく先を夢みる楽しさがある。しかし、やめる頃は違う。最初の熱は子どもからなくなり、家で練習することを求められる習いごとなら、するしないで親子でバトルになっていたりする。なにより、子どもはとっくに持て余しているんだろう……というのが端から見ていてもわかるけれど、本人はなかなか「やめる」とは言わない。親が「もうやめたら?」とでも言おうものなら、「やめたくない。絶対にやめないから」と意固地になる。


あくまでもうちの子は……の話で、子どもの個性にもよるだろうし、男女差もあるかもしれない。ただ、やめることは、その習い事をあきらめることで、それは子どもにとっての自己否定になるんだろうなと思う。そこには、暗に親の期待を感じとって、それを裏切ってしまってはいけないという子どもなりの頑張りや、親子の関係も映し出されているのかもしれないなとも思う。そう考えると、あまりああだこうだと口を出したくない。

 

そこで、思いついたのが「休む」という言葉。「やりたくなったら、また習いに行けばいいし」と付け加えて、やめさせてきた。そして、その後、1度も「もう1回やりたい」とは言わなかった。「やっぱり……」と苦笑するしかないのだが、本人もやめたことでホッとした気分になったこともあっただろうなと思う。

 

高校生になったので、もう、新しい習い事を始めることもないと思う(塾や予備校は除く)ので「休んだら?」を口にすることもないだろう。また始めたいと言い出したのは、本人なりに思うところがあるのだろう。再開するなら、コツコツと練習して、「こんな風に弾けるようになりたい」と思う理想に近づければいいねと、見守るだけ。でも、月謝を出すのはあと3年。そのまま続けたいなら、高校を卒業後は、自分で月謝を払って行ってくれと思っている。進学したとしてもバイト代でなんとかできるだろうから。