農業系ライターのブログ

フリーランスライターです。ALL ABOUT ボランティアガイドサイトも担当しています。ブログでは気の向くままに好きなことを書いています

”あん”を読み、”差別”という感情について考えた

現在、映画が公開されているドリアン助川さんの小説、「あん」を読んだ。どら焼き屋の雇われ店長の元に、店で働きたいとやってきた老婦人、敏江さん。彼女が作る粒あんのおいしさが評判を呼んで、繁盛するものの、ハンセン病を患った過去があり、それが原因で店を辞めなくてはいけなくなる。 敏江さんが辞めたことを契機に店長と、店によくきていた中学生が、敏江さんの半生をたどりながら、ハンセン病と患者を取り巻く偏見や差別を知っていく物語。

 

読みながら考えたのは、差別という感情の複雑さだ。

 

私は、ハンセン病についての知識は本やテレビなどで得ている程度だ。偏見はもっていないつもりだが、詳しく知っているかといわれると、答えに詰まる。療養所に足を運んだ経験もない。 そして「詳しくは知らないけれど偏見はない」という言葉ほど、無責任な言葉もないのだという自覚もある。

 

店長がハンセン病は洟水からうつるといわれ、うつらないことを知っていながら「体にひやりとしたものが走った」という場面に続いて、こんな一節がある。

「敏江さんの病気は40年も前に完治している。元患者というのもはばかれるほど歳月は過ぎているのだ。それがわかっていながら、なぜこんな気持ちになるのだろう。この不安はどこから来るのだろう」

 

人間は、見えないものほど怖くて、知らないことほど恐怖を感じるのだと思う。そして知っていても、知っているつもりでも、曖昧な理解のままでは、厳しい事実を目の前につきつけられると足下が揺らぐ。そんな人間の心理がうまく描かれているなと思った。差別とは、そういったなんともいえない不安な感情が作り出していくものなのだと思う。

 

そして、その不安と向き合う店長自身が大麻取締法違反で刑務所に入ったという経歴を持つ社会的弱者でもあるという点もこの小説の肝の1つだ。明らかな罪状がある自分と、本人にはなんの罪 もないのに言われなき差別を受ける敏江さんとの違いを「(ハンセン病を患ったことで)一生苦しめてや ると、神は言い切ったのだ」という残酷な気づき。そして、自分ならどうするかと考えた答えは、息が詰まりそうになりながらも、それ以上前を進めなくなり、関わりを断つ。そんな店長の姿に、不安と向き合いきれない人間の弱さが映し出されてもいるように見えた。それは弱者であればあるほど、差別される恐怖を知っていればいるほど、向き合えないものなのかもしれない。

 

差別をしてはいけないというのは簡単だが、わかっていても、それができないから難しい。

人をなぜ、差別してしまうか。

差別を受けてきた人と向き合うにはどうしたらいいのか。

そんなことを改めで考えさせてくれる本だ。

 

中学生の課題図書に選定されたこともあるそうで、とても平易な文章でハンセン病とその患者の歴史が書かれている。映画館に足を運ぶ時間がなくても多くの人に手にとってもらいたいと思う。

 

あん

あん

 

 

 

PTA問題をボランティアガイドとして考察してみた

PTAに関する読者の疑問、組織トップの回答は?:朝日新聞デジタルを読んだ。

 

読後感はなんか、すごいこと、いってるなぁ。全国区のPTAのトップがぶっちゃけてるわ……という感じかな……。たとえば、

「(PTAは)子どもたちのため。親が自分の子どもだけに関わっていては、いい子には育ちません。帰属意識や規範意識、地域を思う気持ちなど、PTAは人間形成にもってこいの場。そうした意識は、安定した日本の労働力を確保することにもつながります」

という発言、なかなかすごい。正論かもしれないけれど、PTAに違和感を覚えている人が聞きたいのはそんなことじゃないだろう。むしろ、地域を思う気持ちだの、人間形成だのを持ち出してきて「半ば強制的に」参加させられていることに、いらだっているのであって、ある意味、炎上の燃料を投下しているようにも見える。

 

私個人でいえば、PTAでは、父兄の皆さんがあげているような怖い話を身近で見聞きしたことはないから、取り立てて意見はないし、学校を支える組織として必要だとも思う。小中学校の9年間を通して、積極的に引き受けてもきた。それによって、学校の様子がわかり、地域に顔なじみができ、生まれ育った地を離れて子育てしている身にはとてもありがたかった。

 

それでも引き受けたのは子どものためでは決してない!とも声を大にして言いたい。引き受け手のいない役員を4月の保護者会で手をあげたのは「やってもいいかな」と自分自身が思ったからだ。

 

会長さんのいう「帰属意識や規範意識、地域を思う気持ち」が、もし育まれたとしたら、それは私が参加したPTAというボランティア活動で得たことだ。

 

PTAにしろ、部活動にしろ、親が協力を求められる学校の諸々は、ボランティアがベースだ。その上に「子どものため」という崇高なお言葉が乗っかると、精神論になりがちだ。PTAは学校を支える存在であり、その活動は子どものためであるのは間違いない。それでも、親が個人の意思で参加した結果、地域を思う気持ちが生まれ、子どもたちのためにもなっていると線を引いて考えたほうがすっきりするんじゃないかな。それを子どものためにやるべきだと話を始めるから、おかしくなるような気がする。

 

ボランティアはあくまでも自発的な活動であって「できる人ができるときにできることをする」のが大原則だ。強制されて行うものではない。それは PTAでも同じなんだと思う。それじゃ人が集まらないというのなら、そもそも、なぜ集まらないのかを考えるといいんだろう。もし、そんなことをする時間の 余裕がなくなっているというなら、実はPTAというものを皆がもてあましているのかもしれないね。

 

そして、活動先で起きるいじめだの、人間関係のギクシャクも、別問題。PTAの中で起きがちなことかもしれないが、PTAだけに起きるわけではないので、そこは違うテーブルにのせて議論すべきじゃないのかな。ボランティアガイドとして一言を添えれば、どんな活動でもうまくいかなくなる原因は往々にして人間関係だったりするのだよ。PTAに限らず、無償の行動を共にしている者同士の人間関係は本当に難しい。PTAの場合は、同じ学校に通う子どもの親っていう関係の上に成り立つから、うまく関係が作れずに失敗したときのダメージが大きいだろうなとも思う。

 

日本の社会は元々農村社会 だから、神社仏閣や 学校を中心に地域が形成されてきた側面がある。PTAもその延長に組織化されて、学校と共に地域を支えてきたんだろう。(詳しく調べていないけれど)。公立学校が地域の要だった時代に要求されたPTA の価値観のまま「地域を支える存在なんだからやって当然」と言われたら、反発も起きて当然だろう。

 

そう考えると、公教育には様々な制度疲労が起きてるってことなんだろうな。PTAだけではなく、見直さないといけないことが多いかもしれないことを改めて思う。

 

いずれにしても、父兄がPTAを自分の問題として認識できるのは在学中のわずか数年。あっという間に過去の話になるから、「イヤだけど今年やればお役ご免だから、少しの我慢で乗り切ろう」となってしまって、議論がなかなか深まらない。そんな中で全国区のPTA会長からこういう話を引き出したのは、なかなかの収穫のように思う。今の時代、そんな考え方じゃ、PTAはますます人が集まりませんよ!という意味において。

 

ちなみに、数年前ですが、PTAの記事、私も書いてます。良かったら、読んでみてください。

allabout.co.jp

ボランティアが変えた限界集落

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新潟県十日町市池谷集落の農業女子Dammyさんから、送っていただいた「村の灯りを未来へ」を読む。2004年の中越大震災で大きな被害を受けた十日町市池谷集落の10年間の軌跡をたどった記録集だ。地震で過疎化に拍車がかかった池谷に、国際協力NGO、JENが復興支援活動を展開し、たくさんのボランティアが訪れたことで、集落と、そこに住む人たちの変化が記録されている。

 

池谷については、以前、行きつけの農村を探すスローな旅【体験編】 [ボランティア] All Aboutとしてガイド記事でも紹介させていただいたので、詳しくはそちらを読んでいただければと思う。ちなみに、今、チェックをしたら、2006年の記事だった。9年前!本文中で5歳となっている子は、今年、中3になって、立派な反抗期なうである。はぁ~~~、年をとるはず…。

 

このとき、しみじみと思ったのは「山の生活は、豊かだな……」ということだった。美しい棚田の風景や、深い森はもちろんのこと、「何にもない田舎で すけれど」と言って、農作業の合間に出される採れたての山菜や、旬の青菜、そこに砕いてトッピングされていたのは裏山で取ってきたクルミ、そして、山のわ き水で育てた米で握ったおにぎり。中山間地域に暮らす人にとっては当たり前で「何もない」ことが、外から来た人間にはとても新鮮でまぶしく、そして豊かに 映った。

 

高度成長期前は里の子たちより、山の子たちのほうが、高校への進学率が高かったという。山の恵みをお金に換えることが容易 だったのだろう。その話がとても納得できた。そういった山の豊かさと、集落の人たちのおおらかさが、多くのボランティアを受け入れているのだろうなと思った。

 

現在、池谷は、JENの支援からは”卒業”し、その活動を中越地震直後に設立された十日町市地域おこし実行委員会が受け継いでいる。現在も農作業や雪掘り(雪かき)に多くのボランティアを受け入れている。震災直後は6世帯、13人にまで減った人口は、子育て世帯の移住者を得て、9世帯21人となり、限界集落を脱し、奇跡の集落、希望の集落とまで評されるようになった。

 

そんな言葉で評されるのは、人口が増えたからだけではない。そもそも、9世帯21人という数が、希望かと言われたら、微妙かもしれない……それでも、ここが「奇跡」と呼ばれるのは、たくさんのボランティアが集落に足繁く通っていること、そしてその中から移住し、農業に従事する若い世代がいることだろう。

 

農業など第一次産業が他の仕事と違うのは、地域の基盤となっている点だと思う。集落の基幹産業である農業を受け継ぐことが集落を受け継ぐことと同義語なのだ。農業が集落の風景を作り、季節ごとの食を彩る。農業の暦に沿って祭りなどの行事が催される。集落の1年は農業と共にめぐっていく。その農業を受け継ぎ、集落の灯を絶やさず、次世代につなぐ覚悟を持った若い世代が地縁も、血縁もない場所から移り住んできた。そのことが奇跡なのだと思う。

 

高齢化社会を迎え、高齢化は、今後ますます加速していくと予測されていく。地方の過疎化も進んでいくだろうし、限界集落と呼ばれる場所も増えていくだろう。差し迫ったこれらの課題と向き合うために池谷の10年に様々なヒントが詰まっているように思う。

3月11日を忘れてはいけない

2011年3月11日、私は山口県宇部市で取材中だったので、揺れはまったく知らなかった。取材を終えて、タクシーで空港に行き、カウンターでチケットを買う際に初めて「宮城で大きな地震がありまして、羽田空港の滑走路の一部が剥がれ てしまったので、遅れが出るかもしれません」と聞かされた。

 

その時点では「ん?また宮城で地震? 何日か前にあったよね。今日は羽田も揺れたの?」ってくらいのんきだった。

だから空港のテレビで「宮城・茨城大地震」という大きなテロップや、市原のコンビナートが延々と燃える様、そして家が田畑が仙台空港津波に飲まれていく映像を見たときは、言葉が出なかった。

 

そこにいた人皆がそうだったと思う。本当に誰も何も言わずに、いや、言えずに、声も出せずに、テレビの画面を見続けていた。

 

あまりの映像に何も考えられずに、「家族は大丈夫?」「家はどうなった?」そんなことが頭をよぎるまでには少し時間がかかったように思う。

 

たまたま夫が休みだったので、家や携帯に電話して状況を聞こうとしても、つながらない。茨城の実家に電話してもダメ。そういった中で、ツイッターにアクセスしたところ、東京やその近郊は大きく揺れはしたものの大丈夫だということだけは、早くにわかってようやく少しホッとすることができた。

1時間くらいして電話がつながり、無事を確認できたが、娘の声を聞いたときは、涙が出た。夫は心配しないようにメールもくれていたのだが、通信が混乱していたようで、学校からの連絡網などとあわせてまとめて届いたのは夜になってからだった。実家も揺れたものの無事だった。

 

結果として関東には地震の被害はそれほどなく、無事であったものの、それが確認されるまでの不安は忘れられず、いま思い出しても胸が締め付けられるような感覚になる。

 

あの日、私のような不安にかられ、家族の安否を確認しようとした人はどのくらいいたのだろうか……。そして、家族と連絡がとれないまま、4年目のこの日を迎える人はどのくらいいるのだろうか……。

 

家族も家も無事だった私でさえ、あの日のことを思い出しながら、こうしてブログを綴るだけでも胃がキリキリと痛んでくる。地震津波の被害に遭われた方の衝撃や心の痛み、そして家族を亡くされた方の無念さはどれほどだろうか……。

 

忘れてはいけないと改めて思う。あの日のことを。突然、生活を、人生を、ねこそぎ奪われてしまった多くの人のことを。

4回目の3月11日。私は、家で仕事をしている予定だが、14時46分には黙祷を捧げ、忘れないことを心に改めて誓いたいと思う。

ネガティブ要因に商機を見つけた雪下野菜

仕事で新潟に行ってきた。仕事とはいえ、冬の雪国に行くのは気持ちが弾む。生まれ育った茨城と、大人になって働き暮らす東京とその周辺にしか住んだ ことのない自分にとって一面の銀世界は文字通り別世界。そこで暮らす人の大変さは理解しつつも、雪のある風景には単純にあこがれを感じてしまう。

なのに、新幹線の駅に着いたときにはしとしとと冷たい雨。雪が降ってない!しかも、野外の撮影もあるのに参ったな……と心配していると、見る見るうちに晴れ、青空が見えてきた。
「こんなに晴れるのは珍しい」
そうで、青い空の下に光る銀世界はとても美しかった。

取材では、雪下野菜を取り扱う直売所や生産現場などを見てきた。雪下野菜は野菜を畑に植えたまま雪の下に寝かせて、収穫時に雪をかきわけ、土から掘り出すものだが(収穫し、雪室や藁を被せるなどして保管するものもある)、特別に開発された栽培技術といった類のものではなく、自然環境を活用した保存方法として雪の多い地方の人にとっては当たり前に行われてきたそうだ。

それが数年前から「雪の下に置くと野菜の甘味が増す」と話題になり、ネット通販などでも人気が高まっている。なので、ご存じの方も多いのではないかな。

雪の多い地方にとって、田畑が雪に埋まる冬の間、農家の収入源を確保するのは、共通の課題だったと思う。そのネガティブ要因だった「雪」が商機になるというのは、新鮮な発見だったそうだ。直売所で雪下野菜の人気が高いことで、新たに生産する農家さんも増え、これまで耕作放棄地となったところで栽培を広げたという人もいるそうで、地域の農業を変えていくための1つの方法になるのではと期待されている。

こういう話を聞くと、長所と短所は裏表で、ネガティブと思われている要因の中に案外と商機があるものだなとつくづく思う。雪という雪国の人にとって はやっかいな存在が、雪のない地方で育った私のような者にキラキラと光る美しい存在に映るように、雪の持つ可能性が地域を変える力になっているのだから。

高齢化や過疎化で農業に従事する人口は減り続け、人によっては「日本は工業製品を売ってそのお金で食べ物を輸入すればいい」なんてことを言う人もい るそうだ。でも輸入に頼る不安定さは、家計を預かる主婦の1人として、ここ1~2年の食品価格の値上がりで、身にしみている。食の安全面から見ても、栽培する工程や生産する過程を把握しやすい距離で作ったもののほうが、安心できるのではないだろうか。

米はもちろん、肉や野菜などの生鮮食品は、 いつでも安定的においしく食べたいと思う。そのためにも日本から農業がなくなったら、大変困る。地道にコツコツがんばる農家さんを応援したい! 農業の現 場を取材するときには、いつもそんなことを思うのだが、こうして、ネガティブを上手にポジティブに変えていく人たちと出会うと、よし、まだ大丈夫!と思え るのである。

知らないではすまされないイスラームを東京ジャーミーで学ぶ

 少し前の話だが、11月末の日曜日、代々木上原の東京ジャーミーのチャリティバザーに足を運んできた。オスマントルコ様式のイスラームの礼拝堂、いわゆるモスクだ。ジャーミーとは、金曜礼拝など集団礼拝ができるような大きなモスクのことで、東京ジャーミーは、日本でも最大級だといわれている。

 

完成した当初、建築資材や調度品はすべてトルコから運び、トルコから来た100人もの職人さんが1年かけて建設したことなどで話題になった。代々木上原の名所の1つとしてもマスコミ等で度々紹介されるので、東京近辺にお住まいならご存じの方も多いはず。私もその頃から何度か足を運び、今回、久々に訪れたが、細部にまで繊細な装飾を施した建物の芸術品ともいえる美しさは変わらず、晩秋の真っ青な空の下、一際輝いていた。それは、もう、うっとりとするほどに……一歩足を踏み入れると、日本にいることを忘れてしまいそうだ。

 

異教徒にとっては、息をのむような美しさだけに目を奪われがちだが、1つ1つに意味がある。たとえば、イスラーム建築によくみられるアーチはこの下で人がまっすぐ立つように(生きるように)というイスラームのメッセージなのだという。礼拝堂に施されてるカリグラフィ(アラビア文字の書道)にはクルアーンコーラン)の一節が書かれ、室内で装飾されている幾何学紋様はすべてが対になっているなど、細部まで緻密に計算されつくしている。ただの美しい建築物ではなく、イスラームの叡智がつまっていることを改めて思った。

 

イスラーム社会で暮らしたことはないが、20年ほど前に活動していた団体で、バングラデシュやパキスタン、イランといったイスラーム圏から来た人たちと関わり、彼らの行動や、何冊かの本を通じて、イスラームを知ろうとした時期があった。そして、知れば知るほど、イスラームの教えは明快で合理的であることに驚かされた。私の中で、宗教はわかりにくいという先入観があったので…。

 

イスラームの教えといえば、お酒や豚肉を口にしては"いけない"、女性はヒジャーブ(スカーフ)で髪を隠さなくては”いけない"、1日5回マッカ(メッカ)に向かって礼拝をしなければ”いけない”など、戒律の厳しさが知られている。でも、これは逆にいうと、戒律をしっかり守ってさえいれば問題ないということ。戒律が厳しいのではなく、していいことと、いけないこととが明確だということだ。教えは行動の規範であり、それを守ることによって、天国に行くという報酬が得られる。イスラームの教えは神との契約だといわれるゆえんだ。

 

そして教えの源は、神の下には国王であっても、貧民であってもどんな人も平等である点にある。礼拝のときに先頭に立つイマームという存在がいるが、宗派によって解釈の違いはあるものの、基本的には礼拝のリーダーであって、仏教の僧侶や、キリスト教の神父のような役職ではないのだという。

 

イスラーム世界宗教として広がり、生まれてから1400年以上経ても、何億もの人に信仰され続けているのは、この神の下では皆が平等であること、そして誰にでも実践しやすい明快でわかりやすい教えであることが大きいのだろうと個人的には思っている。

 

私自身はムスリムになることはないだろうが、イスラームにつきまとう過激テロのイメージが増幅されるようなニュースばかり流れてくるのは、ムスリムの友人もいて、多少なりともその教えを知っている程度の私でも、胸が痛い。何かできることはないだろうかと考え、自分の知っているイスラーム観を書いてみた。

 

国際情勢が揺れ動く渦中にあるのが、イスラームだとしたら、私たちは「知らない」「わからない」ではすまされなくなっていると思うから。まずは正しく知ること、それが相手を理解する第一歩になるはずだ。

 

人びとが平和に暮らし、日々の平安を願わない宗教はないはずだ。過激派のテロに心を痛めているのは、静かに暮らしているムスリムムスリマイスラーム教徒)も同じであることに思いを寄せたい。


東京ジャーミー・トルコ文化センター

見学はいつでも自由にできるそうだ。女性はスカーフが必要だけれど、忘れても貸してもらえる。金曜日には集団礼拝も行われている

 

 

異物混入を100%防げないと、安心できませんかね……

マクドナルドの異物混入事件。正直、こういうニュースは次から次へと「おれも」「わたしも」という事例が出てくるので、あまり追いたくない。”異物”の事例が上書きされていくだけで何の解決にもならず、それどころか、騒ぐだけ騒いで蜘蛛の子を散らすかのように、誰も話題にしなくなるのがいつものことだから。

 

記者会見もチェックしていなかったが、今朝の情報番組で紹介されているのを途中から見ていて、う~ん、このまとめ方、ちょっと違和感……と思った。何が違和感なのかをつらつら考えていて、お客様は神様じゃないのに…という気持ちになった。上げ膳据え膳でいただくだけでいいのか?食の安心・安全は消費者と共に作り上げていくものという視点が欠けすぎじゃない?と、思い至ったので自分メモに。

 

番組を全部見ていたわけじゃないのだけれど、私が引っかかったのはあるタレントさんが言ったこんな言葉。

 

「記者会見で『異物混入を100%なくすことはできない』といってたけど、最初から諦めているようで違うと感じた。100%にしてくれないと安心できない」(ニュアンスね)それを受け、司会者の方が「難しいだろうけれど、100%になるように努力してほしいよね」(これも、ニュアンス)といって話をまとめたという流れ。

 

とてもまともで、常識的なご意見ではある。でも、こういうまとめ方ってたとえば他のニュースでも「今後、真剣な議論に期待したい」的にまとめるのと同じで、つまりは、何も言ってないに等しいんじゃないかな……。だって、誰が議論するの?自分は関係ないの?と思ってしまうのと同じように、企業だけが努力すれば食の安全・安心が本当に保証されるのか?と、問いかけたくなる。要は、誰が食の安全・安心を担うのか?……ってことを考えないといけないのではないだろうか。

 

口に入れるものに、間違いがあったらいけない!というのは、当たり前のことなのだけれど、それでも、異物混入というのはどれだけ努力しても防ぎきれない事故なのだと思う。記者会見で、100%は無理と言ったとしたら(見てないので)、とても正直に本音を言ったのだ。その本音に対して、じゃあ、どうする?がないままじゃ、同じ騒ぎを繰り返すだけではないだろうか?

 

以前、とある生協の仕事で組合員さんと企業の方々が直接対話する場を取材させていただいたことがあった。商品に一家言ある組合員さんたちの言葉は鋭くて、使っている人でないとわからないような意見がたくさん出ていた。それは、もう、企業の方々がたじたじになるくらい。

 

でも、企業の方々は、恐縮しながらも、熱心にメモされていた。「こういう話を聞く機会がなかなかないんですよ」とおっしゃりつつ。質問されたことで実現不可能なことはその場で「こういう理由でそれは難しい」と返し、検討の余地のあることは、「これを社内に持ち帰って検討事項にいたします」と約束していた。さらに「この商品のこんなところが 好きで愛用しています」なんて意見が出ると素直に喜ばれていた。「あまり褒められることがないので」と…。

 

誰だって褒められたらうれしい、不備な点を指摘されれば気を引き締めて、改善できるように努力をする。でも、意見なのか、クレームなのかわからないようなことを一方的に言われ続け、ちょっとでも反論すると「それがあなたたちの仕事」とばかりに努力だけを要求されたら……萎縮してしまうだけじゃないかな……。

 

それは企業も同じだなと思うと、消費者として考えたいのは、防ぎきれない事故に遭遇したとき、どう行動すればいいかということじゃないだろうか。番組では安易にSNSで拡散しない ということにも触れていたけれど、それは最低限のマナーとして本当に大切なこと。その上で冷静に起こったことを企業に報告すればいいし、報告したら、原因がどこにあったか、どう改善されたかまで、しっかり関心を持ち続けることが必要なのではないだろうか。

 

言うは易く行うは難しだけれどね。でも、事故が起きて大騒ぎをしては、あっという間に忘れるを繰り返すほど不毛なことはない。安全・安心を保つのは、企業だけでなく、消費者も担い手であることを、もっと意識すべきなのだろう。いわゆるリスクコミュニケーションを確立できるかどうかが問われているのだと思う。企業にも、消費者にも。