農業系ライターのブログ

フリーランスライターです。ALL ABOUT ボランティアガイドサイトも担当しています。ブログでは気の向くままに好きなことを書いています

ネガティブ要因に商機を見つけた雪下野菜

仕事で新潟に行ってきた。仕事とはいえ、冬の雪国に行くのは気持ちが弾む。生まれ育った茨城と、大人になって働き暮らす東京とその周辺にしか住んだ ことのない自分にとって一面の銀世界は文字通り別世界。そこで暮らす人の大変さは理解しつつも、雪のある風景には単純にあこがれを感じてしまう。

なのに、新幹線の駅に着いたときにはしとしとと冷たい雨。雪が降ってない!しかも、野外の撮影もあるのに参ったな……と心配していると、見る見るうちに晴れ、青空が見えてきた。
「こんなに晴れるのは珍しい」
そうで、青い空の下に光る銀世界はとても美しかった。

取材では、雪下野菜を取り扱う直売所や生産現場などを見てきた。雪下野菜は野菜を畑に植えたまま雪の下に寝かせて、収穫時に雪をかきわけ、土から掘り出すものだが(収穫し、雪室や藁を被せるなどして保管するものもある)、特別に開発された栽培技術といった類のものではなく、自然環境を活用した保存方法として雪の多い地方の人にとっては当たり前に行われてきたそうだ。

それが数年前から「雪の下に置くと野菜の甘味が増す」と話題になり、ネット通販などでも人気が高まっている。なので、ご存じの方も多いのではないかな。

雪の多い地方にとって、田畑が雪に埋まる冬の間、農家の収入源を確保するのは、共通の課題だったと思う。そのネガティブ要因だった「雪」が商機になるというのは、新鮮な発見だったそうだ。直売所で雪下野菜の人気が高いことで、新たに生産する農家さんも増え、これまで耕作放棄地となったところで栽培を広げたという人もいるそうで、地域の農業を変えていくための1つの方法になるのではと期待されている。

こういう話を聞くと、長所と短所は裏表で、ネガティブと思われている要因の中に案外と商機があるものだなとつくづく思う。雪という雪国の人にとって はやっかいな存在が、雪のない地方で育った私のような者にキラキラと光る美しい存在に映るように、雪の持つ可能性が地域を変える力になっているのだから。

高齢化や過疎化で農業に従事する人口は減り続け、人によっては「日本は工業製品を売ってそのお金で食べ物を輸入すればいい」なんてことを言う人もい るそうだ。でも輸入に頼る不安定さは、家計を預かる主婦の1人として、ここ1~2年の食品価格の値上がりで、身にしみている。食の安全面から見ても、栽培する工程や生産する過程を把握しやすい距離で作ったもののほうが、安心できるのではないだろうか。

米はもちろん、肉や野菜などの生鮮食品は、 いつでも安定的においしく食べたいと思う。そのためにも日本から農業がなくなったら、大変困る。地道にコツコツがんばる農家さんを応援したい! 農業の現 場を取材するときには、いつもそんなことを思うのだが、こうして、ネガティブを上手にポジティブに変えていく人たちと出会うと、よし、まだ大丈夫!と思え るのである。

知らないではすまされないイスラームを東京ジャーミーで学ぶ

 少し前の話だが、11月末の日曜日、代々木上原の東京ジャーミーのチャリティバザーに足を運んできた。オスマントルコ様式のイスラームの礼拝堂、いわゆるモスクだ。ジャーミーとは、金曜礼拝など集団礼拝ができるような大きなモスクのことで、東京ジャーミーは、日本でも最大級だといわれている。

 

完成した当初、建築資材や調度品はすべてトルコから運び、トルコから来た100人もの職人さんが1年かけて建設したことなどで話題になった。代々木上原の名所の1つとしてもマスコミ等で度々紹介されるので、東京近辺にお住まいならご存じの方も多いはず。私もその頃から何度か足を運び、今回、久々に訪れたが、細部にまで繊細な装飾を施した建物の芸術品ともいえる美しさは変わらず、晩秋の真っ青な空の下、一際輝いていた。それは、もう、うっとりとするほどに……一歩足を踏み入れると、日本にいることを忘れてしまいそうだ。

 

異教徒にとっては、息をのむような美しさだけに目を奪われがちだが、1つ1つに意味がある。たとえば、イスラーム建築によくみられるアーチはこの下で人がまっすぐ立つように(生きるように)というイスラームのメッセージなのだという。礼拝堂に施されてるカリグラフィ(アラビア文字の書道)にはクルアーンコーラン)の一節が書かれ、室内で装飾されている幾何学紋様はすべてが対になっているなど、細部まで緻密に計算されつくしている。ただの美しい建築物ではなく、イスラームの叡智がつまっていることを改めて思った。

 

イスラーム社会で暮らしたことはないが、20年ほど前に活動していた団体で、バングラデシュやパキスタン、イランといったイスラーム圏から来た人たちと関わり、彼らの行動や、何冊かの本を通じて、イスラームを知ろうとした時期があった。そして、知れば知るほど、イスラームの教えは明快で合理的であることに驚かされた。私の中で、宗教はわかりにくいという先入観があったので…。

 

イスラームの教えといえば、お酒や豚肉を口にしては"いけない"、女性はヒジャーブ(スカーフ)で髪を隠さなくては”いけない"、1日5回マッカ(メッカ)に向かって礼拝をしなければ”いけない”など、戒律の厳しさが知られている。でも、これは逆にいうと、戒律をしっかり守ってさえいれば問題ないということ。戒律が厳しいのではなく、していいことと、いけないこととが明確だということだ。教えは行動の規範であり、それを守ることによって、天国に行くという報酬が得られる。イスラームの教えは神との契約だといわれるゆえんだ。

 

そして教えの源は、神の下には国王であっても、貧民であってもどんな人も平等である点にある。礼拝のときに先頭に立つイマームという存在がいるが、宗派によって解釈の違いはあるものの、基本的には礼拝のリーダーであって、仏教の僧侶や、キリスト教の神父のような役職ではないのだという。

 

イスラーム世界宗教として広がり、生まれてから1400年以上経ても、何億もの人に信仰され続けているのは、この神の下では皆が平等であること、そして誰にでも実践しやすい明快でわかりやすい教えであることが大きいのだろうと個人的には思っている。

 

私自身はムスリムになることはないだろうが、イスラームにつきまとう過激テロのイメージが増幅されるようなニュースばかり流れてくるのは、ムスリムの友人もいて、多少なりともその教えを知っている程度の私でも、胸が痛い。何かできることはないだろうかと考え、自分の知っているイスラーム観を書いてみた。

 

国際情勢が揺れ動く渦中にあるのが、イスラームだとしたら、私たちは「知らない」「わからない」ではすまされなくなっていると思うから。まずは正しく知ること、それが相手を理解する第一歩になるはずだ。

 

人びとが平和に暮らし、日々の平安を願わない宗教はないはずだ。過激派のテロに心を痛めているのは、静かに暮らしているムスリムムスリマイスラーム教徒)も同じであることに思いを寄せたい。


東京ジャーミー・トルコ文化センター

見学はいつでも自由にできるそうだ。女性はスカーフが必要だけれど、忘れても貸してもらえる。金曜日には集団礼拝も行われている

 

 

異物混入を100%防げないと、安心できませんかね……

マクドナルドの異物混入事件。正直、こういうニュースは次から次へと「おれも」「わたしも」という事例が出てくるので、あまり追いたくない。”異物”の事例が上書きされていくだけで何の解決にもならず、それどころか、騒ぐだけ騒いで蜘蛛の子を散らすかのように、誰も話題にしなくなるのがいつものことだから。

 

記者会見もチェックしていなかったが、今朝の情報番組で紹介されているのを途中から見ていて、う~ん、このまとめ方、ちょっと違和感……と思った。何が違和感なのかをつらつら考えていて、お客様は神様じゃないのに…という気持ちになった。上げ膳据え膳でいただくだけでいいのか?食の安心・安全は消費者と共に作り上げていくものという視点が欠けすぎじゃない?と、思い至ったので自分メモに。

 

番組を全部見ていたわけじゃないのだけれど、私が引っかかったのはあるタレントさんが言ったこんな言葉。

 

「記者会見で『異物混入を100%なくすことはできない』といってたけど、最初から諦めているようで違うと感じた。100%にしてくれないと安心できない」(ニュアンスね)それを受け、司会者の方が「難しいだろうけれど、100%になるように努力してほしいよね」(これも、ニュアンス)といって話をまとめたという流れ。

 

とてもまともで、常識的なご意見ではある。でも、こういうまとめ方ってたとえば他のニュースでも「今後、真剣な議論に期待したい」的にまとめるのと同じで、つまりは、何も言ってないに等しいんじゃないかな……。だって、誰が議論するの?自分は関係ないの?と思ってしまうのと同じように、企業だけが努力すれば食の安全・安心が本当に保証されるのか?と、問いかけたくなる。要は、誰が食の安全・安心を担うのか?……ってことを考えないといけないのではないだろうか。

 

口に入れるものに、間違いがあったらいけない!というのは、当たり前のことなのだけれど、それでも、異物混入というのはどれだけ努力しても防ぎきれない事故なのだと思う。記者会見で、100%は無理と言ったとしたら(見てないので)、とても正直に本音を言ったのだ。その本音に対して、じゃあ、どうする?がないままじゃ、同じ騒ぎを繰り返すだけではないだろうか?

 

以前、とある生協の仕事で組合員さんと企業の方々が直接対話する場を取材させていただいたことがあった。商品に一家言ある組合員さんたちの言葉は鋭くて、使っている人でないとわからないような意見がたくさん出ていた。それは、もう、企業の方々がたじたじになるくらい。

 

でも、企業の方々は、恐縮しながらも、熱心にメモされていた。「こういう話を聞く機会がなかなかないんですよ」とおっしゃりつつ。質問されたことで実現不可能なことはその場で「こういう理由でそれは難しい」と返し、検討の余地のあることは、「これを社内に持ち帰って検討事項にいたします」と約束していた。さらに「この商品のこんなところが 好きで愛用しています」なんて意見が出ると素直に喜ばれていた。「あまり褒められることがないので」と…。

 

誰だって褒められたらうれしい、不備な点を指摘されれば気を引き締めて、改善できるように努力をする。でも、意見なのか、クレームなのかわからないようなことを一方的に言われ続け、ちょっとでも反論すると「それがあなたたちの仕事」とばかりに努力だけを要求されたら……萎縮してしまうだけじゃないかな……。

 

それは企業も同じだなと思うと、消費者として考えたいのは、防ぎきれない事故に遭遇したとき、どう行動すればいいかということじゃないだろうか。番組では安易にSNSで拡散しない ということにも触れていたけれど、それは最低限のマナーとして本当に大切なこと。その上で冷静に起こったことを企業に報告すればいいし、報告したら、原因がどこにあったか、どう改善されたかまで、しっかり関心を持ち続けることが必要なのではないだろうか。

 

言うは易く行うは難しだけれどね。でも、事故が起きて大騒ぎをしては、あっという間に忘れるを繰り返すほど不毛なことはない。安全・安心を保つのは、企業だけでなく、消費者も担い手であることを、もっと意識すべきなのだろう。いわゆるリスクコミュニケーションを確立できるかどうかが問われているのだと思う。企業にも、消費者にも。

 

「カワサキ・キッド」

図書館でたまたま見つけた東山紀之さんの「カワサキ・キッド」。普段は手に取ろうとも思わないタレント本だが「反ヘイト本だった」というブログ記事がネットで話題になっていたことを思い出し、借りて読んでみた。

 

川﨑の桜本というコリアンタウンの経済的に恵まれない家庭で育った東山さんの幼い頃から今に至る自叙伝だが、私生活を公にしないジャニーズ事務所のタレントが淡々と、ときにユーモアを交えながら、しかし赤裸々に過去を語っているのは興味深かった。随所に”東山さんってこういう人なんだ!”と発見することも多く、正直、反ヘイト本は、煽りすぎで、もちろん、東山さんの水平な視線の真っ当さが清々しいことは間違いないのだが、そこだけが注目されるのは、もったいない気がする。

 

東山さんというとクールでストイックなイメージがある。少年隊がデビューした頃も知っている年代だが、ジャニーズには全く興味がなかった私でも、歌番組での3人のピシッと揃ったダンスや、バク転を見ながら「ダンスのうまい本格派グループが出てきた」と思ったことを覚えている。その頃人気だったマッチや トシちゃん、あるいはしぶがき隊の持ついかにもアイドルな雰囲気とは違う印象だったように記憶している。そして、アラフィフとなった今もその頃のイメー ジのままだ。

 

でも、ストイックは一日にしてならず。それを保つために、血のにじむような努力を重ねてきていること、芸能界で出会ったたくさんの人たちの言葉に真摯に耳を傾け、学んできたことなど、東山さんの真面目な姿が綴られていた。

 

そして、アイドルという職業が男の一生の仕事になったことを改めて思った。1980年代頃まで、男性アイドルは小中学生、つまりは少女たちのものだったように記憶している。当のアイドルも10代後半から20代前半でピークを迎え、大人の歌手や俳優になっていくか、いつの間にか表舞台からいなくなり、気づくとまた新しいアイドルが供給されていた。今のようにアラフォーになっ ても歌い踊り、大人をも満足させるクオリティのアイドルなんてちょっと考えにくかった。その先駆者は間違いなくSMAPだろうけれど、その先に歌い踊ることに情熱を注ぎ、それまでにはなかった大人のアイドルとしての道を拓いてきた少年隊がいたのか!と気づいた。

 

そのアイドルを供給し続けるジャニー喜多川さんとのエピソードもまた興味深いものだった。驚いたことに、東山さんは渋谷の交差点に立っていたところを、車の中にいたジャニーさんが目に留め「ちょっと」とスカウトしたのだという。なんという眼力!

 

ジャニーズ事務所は、ジャニーさんの個人商店のようなものと思っているのだが、そこに並べるアイドルという商品を見つけ出し並べるまでが社長の仕事。そこからどれだけ輝くかは、個々の努力や、時代のニーズによるところが大きいのだろう。でも、その努力をジャニー社長のやさしさと厳しさが支えているから、頑張れるのだろうと本を読みながら思った。

 

ちょうど元旦に、蜷川幸雄のクロスオーバートーク - NHKというラジオ番組でジャニー喜多川さんと蜷川幸雄さんの対談が行われていたのを聞いていたのだが、そこで、語られていた 「芸能界での成功の秘訣は、真面目であること」「 アイドル作りは人間作り。どの子だって人間の美しさがある。そりゃ、そうだよ、人間の子だもの」といった言葉と合わせても、子どもの可能性を信じて、育ててきた懐の深い人柄が伝わってきて、ジャニーズというショービジネスを一代で築き上げた人の凄さを思った。

 

他にも1970年代の日本の風景に共感したり、1980年代にトップアイドルだったトシちゃんやマッチの仕事に向かう真摯な姿勢にへぇ~と驚かされたり(良いイメージがなかったの)いろいろな読み方のできる本だと思う。文章も簡潔で、読みやすい構成なので、どこかで見かけたら手にとってみることをオススメする。そして、断じて反ヘイトだけの内容ではないのだよと最後に添えておきたい。

 

カワサキ・キッド

カワサキ・キッド

 

 

 

 

”地域の魅力を伝えるデザイン”に見る新しい地方の時代

2015年が始まりました。今年もよろしくお願いします。

 

元旦は、どこにもいかずに家でごろごろしながら、年末にamazonで購入した「地域の魅力を伝えるデザイン」を読んでいました。読むというより、眺めるというほうが正しいかな。

 

これは、各地の文化や歴史を伝えるために制作されたローカル紙、PR冊子、観光案内、ミニコミ誌などが約60点掲載されている事例集です。文化の発信や歴史の継承、観光情報、魅力の再発見、地域ブランディングの4つの章立てで紹介され、地域プロモーションの事例集と帯には書かれています。町おこしのヒントとして行政担当者や地域復興に関わるような方に向けて作られている本であるようですが、つらつらと眺めているだけでも各地の風景や、伝統工芸、お祭りや食などの多彩さに驚かされ、南北に長い日本には、多様な文化が息づいていることを改めて思いました。

 

住んでいる人がその土地の魅力に気づき、宝自慢をしているかのような本を眺めていて、新しい地方の時代が始まっているような気もしました。地方の時代などと書いてしまうと手垢がついてる感がありますが、かつての中央集権に対抗する意味合いとは全く異なります。むしろ、都会にはない魅力を見てほしい、知ってほしいという地方からのポジティブなメッセージの印象です。地方の良さを魅力的に発信することが、結果としてそれを知った多くの人が行ってみたい、こんな町に住んでみたいと、引き寄せられるきっかけの1つになるのだろうと思います。

 

それを裏付けるように地方に移住する若い世代が増え、4年間で2.9倍になっているというニュースが1月3日付けで流れてもいました。(Yahoo!ニュース - <地方移住>4年で2.9倍 「首都・近畿圏から」3割 (毎日新聞)

 

地方が積極的に自らの魅力を発信する背景には厳しい現実もあります。私も、仕事柄、地方に行くことが多いのですが、過疎化や高齢化の深刻さをひしひしと感じることが少なくありません。こういったプロモーションツールが盛んに作られるのは、それだけ地方の課題が切羽詰まっていることの表れでもあるのでしょう。

 

でも、高齢化や過疎化は地方だけの課題ではありません。都心でも同じように人口の空洞化が起きていますし、私の住んでいる郊外のベッドタウンでも人口こそ減少していませんが、高齢化が進み、空き家の存在も目に留まるようになっています。

 

地方だけではなく、日本全体の人口構成が大きく変わろうとしているなか、価値観や生き方の指針をどう定めていけばいいのかは、共通の課題です。その答えの1つに「地方の魅力に気づく」があるのかな…。そんなことを思った年あけでした。

 

地域の魅力を伝えるデザイン―Design for local paper media in Japan

地域の魅力を伝えるデザイン―Design for local paper media in Japan

 

 

 

 

2014年、ありがとうございました

2014年がもうすぐ終わります。今年1年、いろいろ御世話になり、ありがとうございました。

 

ご報告としましては、11月30日のブログに書いた「きょうこちゃんを救う会 - GOJARAPPE DAYS ~つくばの備忘録~」の募金額が12月25日付けで目標額に達成したそうです。少し前に円安の影響で、募金額の上限をあげざるをなくなったことがサイトに記されており、新聞記事でも取り上げられていたことから(東京新聞:難病で海外移植 円安で手術費不足 千葉・松戸の三輪響子さん:首都圏(TOKYO Web))年内の達成は厳しいのだろうなと思っていましたが、クリスマスに合わせて国内外を含めたたくさんの支援者からの寄付があったと、サイトには綴られておりました。

 

来年は阪神大震災から20年という節目の年です。「ボランティア元年」とも言われるくらいたくさんの方がボランティアに出向き、ボランティアに関心を持つきっかけにもなりました。

 

私自身もその頃のことを思い出しながら、2015年も頑張って仕事をしていきたいと思います。

 

来年もよろしくお願いいたします

 

 

 

 

小さくて弱き者

インフルエンザが大流行しているそうで、冬休み中の中学生の娘も数年ぶりに罹ってしまった。何日か喉が痛いという日が続き、

「なんか、調子悪いから、やっぱり医者に行く」

といいだしたのはクリスマスイブの朝。朝一番で医者につれていき、そのときは熱もなくインフルエンザとは診断されず、そのまま部活に参加したのだが、夕方「頭が痛い」と帰宅し、熱をはかったら8度近くあった。

 

翌朝、一度は熱が下がったものの、午後になり、熱が上がってきたため、再び医院に行って検査してもらったらA型との診断だった。娘は「ああ、インフルじゃ、しばらくどこにも行けないじゃん」とブーたれる程度に元気だった。小さい頃は熱が出ると、ぐったりと動けなくなってしまったことを思い出すと、丈夫になったものだ。

 

前に罹ったときもクリスマスで、小学校1年生のときだから、7年前か。確か、祝日だった。顔は赤いし、体も熱いのに、熱は37.1度 と低かったため、近くの休日診療所ではインフルエンザの検査もしてもらえず、薬も出ないまま、帰されたっけな……。「こんなにぐったりとして辛そうなの に……」と不安な思いのまま寝せていると、夕方、幻覚を見たらしく突然飛び起きて、正気じゃない顔で騒ぎ出されたので、慌てて、近くの大学病院の緊急外来 に駆け込み、ようやく薬を処方してもらえたっけ。あのとき、うすぐらい部屋で興奮状態の娘を目の当たりにしたときの不安な気持ちは、今思い出しても胃がキュッと締め付けられるような感覚になる。

 小さいというのは、それだけで弱い存在なんだな。そして、小さくて弱い命を守り、育てることがこの手に託されているから、お母さんはいつも不安で、心配症になるんだな。

医院に置いてあった銀の匙を読みながらクスクスと笑っている娘は、背も私と変わらないくらい伸び、小さくて弱かった頃が別人のようだ。無事に大きな病もケガもなく、大人に育てることが親の大きな役目なのだねなどと、改めて考えたクリスマスの夕方だった。