農業系ライターのブログ

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知らないではすまされないイスラームを東京ジャーミーで学ぶ

 少し前の話だが、11月末の日曜日、代々木上原の東京ジャーミーのチャリティバザーに足を運んできた。オスマントルコ様式のイスラームの礼拝堂、いわゆるモスクだ。ジャーミーとは、金曜礼拝など集団礼拝ができるような大きなモスクのことで、東京ジャーミーは、日本でも最大級だといわれている。

 

完成した当初、建築資材や調度品はすべてトルコから運び、トルコから来た100人もの職人さんが1年かけて建設したことなどで話題になった。代々木上原の名所の1つとしてもマスコミ等で度々紹介されるので、東京近辺にお住まいならご存じの方も多いはず。私もその頃から何度か足を運び、今回、久々に訪れたが、細部にまで繊細な装飾を施した建物の芸術品ともいえる美しさは変わらず、晩秋の真っ青な空の下、一際輝いていた。それは、もう、うっとりとするほどに……一歩足を踏み入れると、日本にいることを忘れてしまいそうだ。

 

異教徒にとっては、息をのむような美しさだけに目を奪われがちだが、1つ1つに意味がある。たとえば、イスラーム建築によくみられるアーチはこの下で人がまっすぐ立つように(生きるように)というイスラームのメッセージなのだという。礼拝堂に施されてるカリグラフィ(アラビア文字の書道)にはクルアーンコーラン)の一節が書かれ、室内で装飾されている幾何学紋様はすべてが対になっているなど、細部まで緻密に計算されつくしている。ただの美しい建築物ではなく、イスラームの叡智がつまっていることを改めて思った。

 

イスラーム社会で暮らしたことはないが、20年ほど前に活動していた団体で、バングラデシュやパキスタン、イランといったイスラーム圏から来た人たちと関わり、彼らの行動や、何冊かの本を通じて、イスラームを知ろうとした時期があった。そして、知れば知るほど、イスラームの教えは明快で合理的であることに驚かされた。私の中で、宗教はわかりにくいという先入観があったので…。

 

イスラームの教えといえば、お酒や豚肉を口にしては"いけない"、女性はヒジャーブ(スカーフ)で髪を隠さなくては”いけない"、1日5回マッカ(メッカ)に向かって礼拝をしなければ”いけない”など、戒律の厳しさが知られている。でも、これは逆にいうと、戒律をしっかり守ってさえいれば問題ないということ。戒律が厳しいのではなく、していいことと、いけないこととが明確だということだ。教えは行動の規範であり、それを守ることによって、天国に行くという報酬が得られる。イスラームの教えは神との契約だといわれるゆえんだ。

 

そして教えの源は、神の下には国王であっても、貧民であってもどんな人も平等である点にある。礼拝のときに先頭に立つイマームという存在がいるが、宗派によって解釈の違いはあるものの、基本的には礼拝のリーダーであって、仏教の僧侶や、キリスト教の神父のような役職ではないのだという。

 

イスラーム世界宗教として広がり、生まれてから1400年以上経ても、何億もの人に信仰され続けているのは、この神の下では皆が平等であること、そして誰にでも実践しやすい明快でわかりやすい教えであることが大きいのだろうと個人的には思っている。

 

私自身はムスリムになることはないだろうが、イスラームにつきまとう過激テロのイメージが増幅されるようなニュースばかり流れてくるのは、ムスリムの友人もいて、多少なりともその教えを知っている程度の私でも、胸が痛い。何かできることはないだろうかと考え、自分の知っているイスラーム観を書いてみた。

 

国際情勢が揺れ動く渦中にあるのが、イスラームだとしたら、私たちは「知らない」「わからない」ではすまされなくなっていると思うから。まずは正しく知ること、それが相手を理解する第一歩になるはずだ。

 

人びとが平和に暮らし、日々の平安を願わない宗教はないはずだ。過激派のテロに心を痛めているのは、静かに暮らしているムスリムムスリマイスラーム教徒)も同じであることに思いを寄せたい。


東京ジャーミー・トルコ文化センター

見学はいつでも自由にできるそうだ。女性はスカーフが必要だけれど、忘れても貸してもらえる。金曜日には集団礼拝も行われている