農業系ライターのブログ

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寺山修司の青い物語

オーチャードホールで上演されている蜷川幸雄演出、寺山修司作の音楽劇「青い種子は太陽のなかにある」を見てきた。寺山さん28歳のときの作品。これまでに一度だけしか舞台化されていないという幻の作品なのだとか。幻の~とか、未発表の~とか、作家の死後に見つかる作品って「本当は、本人、これ、表に出したくなかったのでは?」という気がしてしまうのだけど、どうなんだろう……と思いつつ。

 

舞台は1963年のスラム。東京オリンピックを翌年に控えた高度成長期前夜ともいえる時代。スラムの住人のために建設される文化的なアパートをめぐってのドタバタが反体制の視点から描かれていた。

 

主演は亀梨和也さん。愚直に悩み苦しむ主人公を好演していた。そして、恋人役の高畑充希さんがとてもよかった。この舞台を見に行ったのも、高畑さんの歌を生で聴いてみたいという思いからだったのだが、その期待に十分に応えてくれる美しい歌声と確かな演技力で、スラムに咲く一輪の可憐な花を演じていた。

 

その高畑さんと対象的なマリーというブルジョアの悪女を演じていた花菜さんもパワフルな歌声が印象的だった。ロック系の方らしいが、初めて聞くお名前だった。こういう思いがけない新しい才能と出会えるのも、舞台の醍醐味だなと思う。ちなみにマリーは毛皮をまとっており、通称、毛皮のマリー名作「毛皮のマリー」はこの頃からすでに寺山さんの中に生きていたことを知った。悪女がなぜ男娼へと、進化していったのだろうか。

 

また、脇役も実力派揃いで、舞台で鍛えている人たちの歌声は素晴らしかった。特に、大勢で歌い踊るシーンは圧巻だった。民衆の歌声はいつもたくましい。

 

寺山作品は、20代の頃に、田園に死す草迷宮などの何本かの映画と舞台を見ている程度。エロとグロが交差するような独特の世界の中で、古い因習を打破しようとしていたり、生を根源的に問いかけたり、心の奥の方の柔らかい部分にあるものをしつこいくらいに揺さぶられるような印象が強い。寺山さんが活躍していた1960年代から1970年代には、こういったことをテーマに口角から泡を飛ばし、目を血走らせながら、議論を戦わせたのだろう。リアルタイムでは知らない年代が見ると、なにやらわかりにくいけど、美しくかつ妖しく、そして生々しく、衝撃的なことはわかる。といった感想しか出てこなかったように記憶している。

 

それが、この舞台のストーリーは「え?寺山作品、こんなにわかりやすいの?」と思うほどシンプルで拍子抜けしてしまった。問いかけていることも「文化的な生活が幸せか否 か」、「真実にふたをしたまま、人は幸せになれるのか」といった内容で、21世紀の今となっては妙に青臭くも聞こえてしまう。

 

高度成長という価値観が大き く変わろうとした時代。そこに生きた28歳の寺山青年のまっすぐな問いかけが書かせた青い物語といえるのかもしれない。

 

スラムのセットや住人も、寺山修司ワールドだなと思うものの、どこか小綺麗で、オーチャードホールのような立派な劇場で見ているせいかショーケースの中に閉じ込められたアングラを見ているような感覚になった。こういう世界にもはや衝撃を受けないのは、色々なものを見過ぎたのか、それとも自分が年をとってしまったのか…。そんな気持ちにもなった作品だった。

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