農業系ライターのブログ

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夏休みに痩せる子ども?

夏の我が家はエンゲル係数が高い。中学生の娘の給食がないためだ。終日、部活で学校にいるので、毎日弁当。暑い中の部活なので、食べることくらいしか楽しみがないだろうと、デザートを持たせたり、汗を大量にかくのでスポーツドリングを凍らせて保冷剤代わりに入れたり。帰宅後は「アイスを食べたい」と言われるので、必ず冷凍庫に常備していたり。

 

なんだかんだといつもより買うものが多く、中学生の娘1人分でも、エンゲル係数が上がっていることを実感する。中高生、男子、3人兄弟、夏の食費なんて字面を見るだけでも震える(笑)

 

そんなことをぼんやり思っているときに見つけた記事

www.tokyo-np.co.jp

 

読んで口をついた言葉が「しゃれにならないな……」であった。この一家は就学援助を受けているのだろうか。学校がある期間は、給食費が援助されていたおかげで、給食が1日のうちで重要な食事だったのかもしれない。だから、夏休みになったとたん、食べるに事欠くような事態になったのかな……なとど考える。そして、貧困家庭の最後の命綱になるほど、フードバンクのニーズが高まっていることに改めて驚いている。

 

フードバンクの草分け的なNPOといえば、SECOND HARVEST(セカンドハーベスト・ジャパン)だが、4~5年前に取材させていただいたことがある。集まってくる食品は、個人の寄付に加え、賞味期限ギリギリのものや製造工程で出たB級品などだった。ほかにも梱包してある段ボールが汚れた(中の商品には問題がない)、缶詰の缶が凹むなどパッケージに傷がついて売り物にならない(中身は問題ない)など、流通工程で生じた傷が原因で集まった食品も多く、日本の食品基準の厳しさを思った。まだ食べられるけれど、様々な理由で廃棄されていた食品を活用するということに、正直、複雑な思いはあるものの、対症療法的支援として、優れた取り組みだと思った。

 

その後も、貧困家庭を対象とした支援は、各地で活発になり、特に子どもへの支援は多岐にわたっている印象がある。食に関することだけではなく、学習塾を無料で開き、高校や大学への進学率を高めることで貧困の連鎖を防ごうという取り組みも盛んだ。裏返せば、それだけ子どもの貧困が深刻化していることの現れだろう。

 

そして、こういった草の根の活動が、貧困を支えるセーフティネットととしてはもちろん、見えにくい現代の貧困を可視化させることにも役割を果たしていることも改めて思った。支援という存在を介してでないと、見えにくいところに、日本の貧困の難しさを感じる。

 

その一方で、この記事のこういう記述を読むと対症療法の限界も感じる。

”メールの送り主は首都圏に住む母親。小学校低学年の子どもが二人いる。母親、父親ともに心の病を患っているが、父親は病は言わず非正規で工場で働く。しかし、夏は勤務が少なく、収入も激減する。”

ご夫婦には頼る親戚はいないのだろうか。

ご夫婦の親御さんは健在ではないのだろうか。

 

貧困は、家族・地域・制度(社会保障制度)の3つの縁をなくして起きるといわれるが低学年の子を持つ家庭が、その縁とつながれていないのだろうか。

「都市化や核家族化が進み、家族の形が変わっているなか、子育てを取り巻く環境も変わっています」

的な文言は、新聞記事や行政の資料などで、よくみる紋切り型の文章だが、子育てを取り巻く環境の変化に対応できずに、さりとて身内に助けを求められない無数の家族がいるであろうことをこういう記事を読むと実感する。

それに対して、社会はどう支援すればいいのだろうか。生活保護で家庭ごと支援する以外にはないのだろうか。

 

子どもは夏に大きくなることを子どもを育てた経験上実感することがある。動物の子が夏から秋の食料の豊富な時期にたくさん食べ、体を大きくして寒い冬に備えるように、育ち盛りの子どもたちも、夏から秋にかけてグンと大きくたくましくなるのだと思う。

そういった当たり前の育ちからはじき飛ばされる子が出ないような、社会の隅々に目が行き届くような施策を国や地方自治体の公的機関がしてくれないと、長い目でみた安心できる社会が作れないのに……などと、思う夏の日である。

 

いや、ホント。この日本で、食べるに事欠く子どもがいるなんておかしいって!