農業系ライターのブログ

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PTA問題をボランティアガイドとして考察してみた

PTAに関する読者の疑問、組織トップの回答は?:朝日新聞デジタルを読んだ。

 

読後感はなんか、すごいこと、いってるなぁ。全国区のPTAのトップがぶっちゃけてるわ……という感じかな……。たとえば、

「(PTAは)子どもたちのため。親が自分の子どもだけに関わっていては、いい子には育ちません。帰属意識や規範意識、地域を思う気持ちなど、PTAは人間形成にもってこいの場。そうした意識は、安定した日本の労働力を確保することにもつながります」

という発言、なかなかすごい。正論かもしれないけれど、PTAに違和感を覚えている人が聞きたいのはそんなことじゃないだろう。むしろ、地域を思う気持ちだの、人間形成だのを持ち出してきて「半ば強制的に」参加させられていることに、いらだっているのであって、ある意味、炎上の燃料を投下しているようにも見える。

 

私個人でいえば、PTAでは、父兄の皆さんがあげているような怖い話を身近で見聞きしたことはないから、取り立てて意見はないし、学校を支える組織として必要だとも思う。小中学校の9年間を通して、積極的に引き受けてもきた。それによって、学校の様子がわかり、地域に顔なじみができ、生まれ育った地を離れて子育てしている身にはとてもありがたかった。

 

それでも引き受けたのは子どものためでは決してない!とも声を大にして言いたい。引き受け手のいない役員を4月の保護者会で手をあげたのは「やってもいいかな」と自分自身が思ったからだ。

 

会長さんのいう「帰属意識や規範意識、地域を思う気持ち」が、もし育まれたとしたら、それは私が参加したPTAというボランティア活動で得たことだ。

 

PTAにしろ、部活動にしろ、親が協力を求められる学校の諸々は、ボランティアがベースだ。その上に「子どものため」という崇高なお言葉が乗っかると、精神論になりがちだ。PTAは学校を支える存在であり、その活動は子どものためであるのは間違いない。それでも、親が個人の意思で参加した結果、地域を思う気持ちが生まれ、子どもたちのためにもなっていると線を引いて考えたほうがすっきりするんじゃないかな。それを子どものためにやるべきだと話を始めるから、おかしくなるような気がする。

 

ボランティアはあくまでも自発的な活動であって「できる人ができるときにできることをする」のが大原則だ。強制されて行うものではない。それは PTAでも同じなんだと思う。それじゃ人が集まらないというのなら、そもそも、なぜ集まらないのかを考えるといいんだろう。もし、そんなことをする時間の 余裕がなくなっているというなら、実はPTAというものを皆がもてあましているのかもしれないね。

 

そして、活動先で起きるいじめだの、人間関係のギクシャクも、別問題。PTAの中で起きがちなことかもしれないが、PTAだけに起きるわけではないので、そこは違うテーブルにのせて議論すべきじゃないのかな。ボランティアガイドとして一言を添えれば、どんな活動でもうまくいかなくなる原因は往々にして人間関係だったりするのだよ。PTAに限らず、無償の行動を共にしている者同士の人間関係は本当に難しい。PTAの場合は、同じ学校に通う子どもの親っていう関係の上に成り立つから、うまく関係が作れずに失敗したときのダメージが大きいだろうなとも思う。

 

日本の社会は元々農村社会 だから、神社仏閣や 学校を中心に地域が形成されてきた側面がある。PTAもその延長に組織化されて、学校と共に地域を支えてきたんだろう。(詳しく調べていないけれど)。公立学校が地域の要だった時代に要求されたPTA の価値観のまま「地域を支える存在なんだからやって当然」と言われたら、反発も起きて当然だろう。

 

そう考えると、公教育には様々な制度疲労が起きてるってことなんだろうな。PTAだけではなく、見直さないといけないことが多いかもしれないことを改めて思う。

 

いずれにしても、父兄がPTAを自分の問題として認識できるのは在学中のわずか数年。あっという間に過去の話になるから、「イヤだけど今年やればお役ご免だから、少しの我慢で乗り切ろう」となってしまって、議論がなかなか深まらない。そんな中で全国区のPTA会長からこういう話を引き出したのは、なかなかの収穫のように思う。今の時代、そんな考え方じゃ、PTAはますます人が集まりませんよ!という意味において。

 

ちなみに、数年前ですが、PTAの記事、私も書いてます。良かったら、読んでみてください。

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