GOJARAPPE DAYS~つくばの備忘録~

フリーランスライターです。ALL ABOUT ボランティアガイドサイトも担当しています。ブログでは気の向くままに好きなことを書いています

ボランティアが変えた限界集落

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新潟県十日町市池谷集落の農業女子Dammyさんから、送っていただいた「村の灯りを未来へ」を読む。2004年の中越大震災で大きな被害を受けた十日町市池谷集落の10年間の軌跡をたどった記録集だ。地震で過疎化に拍車がかかった池谷に、国際協力NGO、JENが復興支援活動を展開し、たくさんのボランティアが訪れたことで、集落と、そこに住む人たちの変化が記録されている。

 

池谷については、以前、行きつけの農村を探すスローな旅【体験編】 [ボランティア] All Aboutとしてガイド記事でも紹介させていただいたので、詳しくはそちらを読んでいただければと思う。ちなみに、今、チェックをしたら、2006年の記事だった。9年前!本文中で5歳となっている子は、今年、中3になって、立派な反抗期なうである。はぁ~~~、年をとるはず…。

 

このとき、しみじみと思ったのは「山の生活は、豊かだな……」ということだった。美しい棚田の風景や、深い森はもちろんのこと、「何にもない田舎で すけれど」と言って、農作業の合間に出される採れたての山菜や、旬の青菜、そこに砕いてトッピングされていたのは裏山で取ってきたクルミ、そして、山のわ き水で育てた米で握ったおにぎり。中山間地域に暮らす人にとっては当たり前で「何もない」ことが、外から来た人間にはとても新鮮でまぶしく、そして豊かに 映った。

 

高度成長期前は里の子たちより、山の子たちのほうが、高校への進学率が高かったという。山の恵みをお金に換えることが容易 だったのだろう。その話がとても納得できた。そういった山の豊かさと、集落の人たちのおおらかさが、多くのボランティアを受け入れているのだろうなと思った。

 

現在、池谷は、JENの支援からは”卒業”し、その活動を中越地震直後に設立された十日町市地域おこし実行委員会が受け継いでいる。現在も農作業や雪掘り(雪かき)に多くのボランティアを受け入れている。震災直後は6世帯、13人にまで減った人口は、子育て世帯の移住者を得て、9世帯21人となり、限界集落を脱し、奇跡の集落、希望の集落とまで評されるようになった。

 

そんな言葉で評されるのは、人口が増えたからだけではない。そもそも、9世帯21人という数が、希望かと言われたら、微妙かもしれない……それでも、ここが「奇跡」と呼ばれるのは、たくさんのボランティアが集落に足繁く通っていること、そしてその中から移住し、農業に従事する若い世代がいることだろう。

 

農業など第一次産業が他の仕事と違うのは、地域の基盤となっている点だと思う。集落の基幹産業である農業を受け継ぐことが集落を受け継ぐことと同義語なのだ。農業が集落の風景を作り、季節ごとの食を彩る。農業の暦に沿って祭りなどの行事が催される。集落の1年は農業と共にめぐっていく。その農業を受け継ぎ、集落の灯を絶やさず、次世代につなぐ覚悟を持った若い世代が地縁も、血縁もない場所から移り住んできた。そのことが奇跡なのだと思う。

 

高齢化社会を迎え、高齢化は、今後ますます加速していくと予測されていく。地方の過疎化も進んでいくだろうし、限界集落と呼ばれる場所も増えていくだろう。差し迫ったこれらの課題と向き合うために池谷の10年に様々なヒントが詰まっているように思う。