農業系ライターのブログ

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駅伝と合唱の似てるトコ

今年から、娘の学校のPTAのコーラスグループに参加している。週に1回の練習だが、歌を歌うなんて誰でもできることだけれど、それを合唱として完成させるためには様々な技術が必要なことに気づく。

そして、歌詞を噛みしめるように歌っていると、その意味がしみこんできて、グッとこみあげてくるような感覚になることもある。そんなとき、歌は言葉だな。言葉が大切な表現なんだなと改めて思う。

 

今週の練習日、顧問の先生からおもしろい話を聞いたので、メモ代わりに。それがタイトルの駅伝と合唱は似てるところがあるというもの。

走ることは誰にでもできるけれど、駅伝は速く走るだけでは勝てない。足の速い人を集めればいいというものではなく、走る順番がとても大事な競技なのだそう。一番速いエースをトップに置くか、それともアンカーにするか。あるいは他のチームのエースがいない中間に置くかコースは区間によって距離も高低差も違うため、どの区間に誰を持ってくるかなども考えなければならない。ライバルチームとの駆け引きも含めて戦略が必要だ。

 

そこが合唱に似ていると顧問はいう。合唱も歌のうまい人を並べればいい歌になるかといえばそうではない。歌い出しのタイミング、母音と子音の出し方、音の長さ、強さ、そして感情のこめ方等々。歌うってこんなに難しいことなのかと思うほど、小さなことの積み重ねで曲が完成されていく。

そして、個々が並ぶ順番によっても歌が変わってくるのだという。通常、合唱はソプラノ、メゾソプラノ、アルトの順番で並ぶ。この並び方を変えるだけで、歌が変わってくるのだという。

 

「試しに」とパートをバラバラにして、自分の両隣に違うパートの人が来るように並んで歌ってみた。歌は、アナ雪。すると、本当にそれまでよりも歌に勢いがあり、歌いながら、「パワフルだ」と実感するほどに。

 「ね、違うでしょう。どういうわけか、変わるんですよ。駅伝にもこういうことがあるそうで、似てるねと、陸上の先生とよく話すんです」と顧問。

 

なんでだろう……と考えた。自分に関していえば、責任感かな……と思った。隣から聞こえてくるソプラノやメゾソプラノの音につられがちなので、自分の声をしっかり出そういう意識が働いていた。また、周囲が同じパートだとその中で合わせる意識が働き、声量を抑えたり、あやふやなところは控えめに声を出したり、無意識に頼ってしまっていたのかもしれない。

 

隣に誰がいるかによって歌に向き合う意識や声が変わることは、ソロで歌うときにはない感覚。その辺りが個人の走りで順位が変わる駅伝と似ているのかな……。


土の歌 第7楽章:大地讃頌 【東京混声合唱団】【東京交響楽団】 - YouTube