農業系ライターのブログ

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無業社会を読んでみた

コメント取材で女性誌などにたまに掲載していただくおかげで、もう年賀状のやりとりすらしていないような古い友人が「美容院で見た雑誌に出てたね。懐かしくなってメールした」などとHP経由で連絡くれることがある。お互いの近況報告しあうと、皆、そこそこの暮らしをして、それなりに幸せにしていることがわかる。

 

そこそこというのは、都内かその近郊、あるいは別の地域かに家族と住み、大学生から小中学生くらいの子どもが1人~3人くらいいて、家でパソコンを使ってネットをする環境は当たり前にある。結婚しているのかシングルなのかや、家計の内実はわからなくても、皆、20年30年前の日本人が漠然と描いていたような中流の家庭を築き、いいお母さんとなっているのだなとうっすら想像する。「年収300万円で楽しく暮らす」なんていう本がベストセラーになる前の頃に多くの日本人が描いていた中流家庭だ。

 

誰もが順風満帆だったわけではない。20代の頃は、就職した会社を数年で辞めてしまったり、海外をぶらぶらしてみたり、「結婚しないかも」などと言ってはため息をついたりして、いったい自分が何をしたいのか、何者なのかなんてことを、ふらふらしながら問いかけた時代もあった。いわゆるモラトリアムってヤツですね。そんな時代を知っているからなおさら、中年になってもしっかりと頑張っているであろう旧友の近況に、時の移り変わりを噛みしめる。

 

しかし、私たちが子どもを送り出そうとしている社会は、あの頃と、これほどまでに変化してしまったのかと「無業社会」を読んで改めて思う。引きこもり、ニートといった言葉は広く知られ、ある種のカテゴリーになったことでどこか「うちの子に限って」的な受け取り方をしてしまう。だけれど、ある日突然、引きこもりやニートになるわけではなく、「仕事を辞めた→次が見つからない→どれだけ求職しても不合格で、自分が何ができるかわからなくなった」といったように段階を経ていくことがよくわかった。

 

そしてそれは決して新しい存在ではなく、モラトリアムという名の下、ふらふらしていた自分たちの20代と重なるところが多かった。違いは「次が見つからない」という辺り。あの頃は、「次」を見つけることがそれほど大変ではなかった。それは、時代だけのせいかはわからないけれど、20年くらい前に比べて、再チャンスしにくい時代になっているのは確かで、もし自分や友人たちが今の時代の20代だったら、同じようなことになっていた可能性は充分あることも思った。

 

あの頃と、社会が変化しているにも関わらず、制度が追いついっていない社会構造を見直さないとならないんだろうな。そして「やっぱり生娘がええのう」的に新卒ばかりを求めている企業もその価値を変えないといけないだろうし、何より「働かない=なまけもの」的に見てしまう人の意識を変えて、一度レールを外れた人が再チャレンジできる社会に変わらないといけないだろうなと思った。

若い人を大切にしない社会に未来はないよな……