農業系ライターのブログ

フリーランスライターです。ALL ABOUT ボランティアガイドサイトも担当しています。ブログでは気の向くままに好きなことを書いています

梅仕事2017

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今年も無事に梅仕事を終えたので、記録用。

梅干し5kgに、200円で投げ売りしてた青梅700gで、梅味噌。

梅と同量の味噌をいれて、砂糖は梅の60%。瓶に入れるのが面倒なので味噌を小分けにしているジップロックにほうりこんだ。

去年、仕込み過ぎて、もてあまし気味の味噌の消費にもなり、良かったわ。

 

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2日経って、見てみたら、梅酢が上がっていた。こっちは重しが、軽めなので梅酢の上がりが遅いかな…と、ちょっと心配。もう一つの瓶に入れている方は、どーんとした重しをのせているのでひたひたになるくらいに梅酢が上がっているのを確認しているのでなおさら。まぁ、様子を見ますが。

 

 

 

館山

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5月の連休の写真を編集途中で上げ損なったので、今さらだけど、一応、記録用に。

3日は柏レイソルVSジュビロ磐田の試合を見に行き、4日は館山に。館山初めて。天気も良く、海が本当にきれいで、気持ちよかった!海有り県の海無し地域に生まれ育ち、今も住んでるので、海の近くの暮らしは憧れる。

 

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道の駅ならぬ、渚の駅。さかなクンが名誉駅長らしい。

 

 

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洲崎灯台。写真に撮るとビックリするくらい空、青し。ちなみに加工してません

 

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 ちょうどテングサの収穫期らしく、あちらこちらの漁師さんの庭先で、こんな風景も。農家の庭先とは風景が違うけれど、こういう手仕事が女の役目なのはどこも同じ。

ちなみに、ところてんは苦手なので食べないけれど、サラダとしてなら割と好き。

 

千葉県、広いなぁ。知らないところだらけだわ。

 

 

 

津波のバカヤローッ!

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週末、娘と宮城に行ってきた。初日は、NEWSの仙台公演でジャニヲタをし、2日目はレンタカーを借りて、三陸自動車道を飛ばして、南三陸町志津川へ。なんだか、感情が忙しく、食い合わせがいいような、悪いようなよくわからないスケジュールだが、前々から一度東日本大震災の被災地には連れていきたいと思っていたので、いい機会かなと思い。

 

娘に聞くと南三陸町に行ってみたいという。ならば、被災地を知る語り部ツアーもいくつかあるようなので、それに参加して、その後、「さんさん商店街」に行き、おいしい魚介を食べてくるかという計画。

 

南三陸町は、震災の年の夏に気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター、通称『はまセン』を立ち上げた岐阜県会議員の川上哲也さんの活動を取材させていただいた際に何度か足を運んで以来だ。

 

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これは、震災から4ヶ月くらい経ったころ。車で通りかかったときに、あれが南三陸町の防災庁舎か……。ということはここは町の中心部だったんだ……。と気づき、遠くから撮った1枚。

 

現在は、町のあちらこちらで工事が行われていて、カーナビに案内された集合場所の観光協会も見逃してしまうほど、道路が入り組んでいた。津波で浸水した地域を10mほどかさ上げをし、そこに商業施設を集中させ、住居は山を切り開いて作った高台に移す計画なのだそうだ。10mと簡単に書いちゃうけど、3階建てのビルくらいかな。それだけの土を盛り土して、その上にできる町は、全く新しい町。だけれど、この町の人にとってはやっぱりふるさとなんだよね。

 

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語り部ツアーは観光協会の職員の方の案内。2人のお子さんのお母さんで、海のすぐ近くにあった自宅は流されてしまったものの、ご家族、4人はご無事だったそうだ。うかがうと、少しでもタイミングがずれていたら…というギリギリの体験をされたそう。家を失い、いまは、隣町に住み、そこから通っている。そんな話をお聞きしながら志津川中学校へ続く、階段を上る。

 

あの日、南三陸町は春が来たかのようなポカポカ陽気だったそうだ。それが、地震のあとは一転して、空が曇り、ポタポタと雪も落ちてきたのだという。

「まさに、天変地異です。」

そう話していたが、天と地が怒り狂っているかのようななか、何度も何度も押し寄せる津波にどんな思いでいたことか… 。

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志津川は、1960年のチリ地震の教訓で、学校はみな高台に、移したんだそうだ。長い長い階段の途中、

南三陸町津波は高さ16メートルに達したんです。16メートルっていうとここ辺り」

と、教えられ、立ち止まったところから下を見た。高い…。海は数キロ先なのに、川をさかのぼりこの辺りにまで、そんな高さの津波が押し寄せたなんて…津波がどれほどのものだったか、改めて驚かされた。

 

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 志津川中学校から、町を一望した。

防災庁舎を遠くに見ながら、あの日のことや、町長さんの話などをうかがう。

 

海は穏やかで、春の日差しを受けキラキラ輝いていた。今は、海のない町に住む高3のお嬢さんが、ときどき『海がみたい!』と言うので、車を飛ばして海を見に来るのだそう。2人で海をぼんやりと眺め、ああスッキリしたと、帰るという。

 

そのお嬢さんが小学生だった当時、震災後すぐに書いたというメモを見せていただいた。

【失ったもの、買う物 】と書かれたメモには、アップライトピアノからはじまり失ったものが思いつくままに書かれていた。特に太く大きく書かれていたのがドライマンゴー。 後でゆっくり食べようと思っていた大好きなドライマンゴーが流されてしまって悔しかったんだね。昨日残した玉子焼きなんていうのもあった。

 

一人ひとりの当たり前の日常が、一瞬にして失われたことが、これほどリアルに伝わる言葉もないかもしれないな。


そして、最後は津波のバカヤローと書かれていた。なんか、お嬢さんの気持ちが、痛いほど伝わってきた…。

 

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その後、高さ10メートルに かさ上げされた場所に、新しくできたさんさん商店街に、足を運び、おいしいお魚を食べて帰ってきたわけですわ。今度はもうちょっとゆっくり行きたいね。

『DAVID BOWIE is』(デヴィッド・ボウイ大回顧展)

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昨日、娘とこれ↓

davidbowieis.jp

を見て来た。今どきの高校生にはつまらないかなと懸念したが、いまでも通用するようなステージ衣装や、当時の映像、楽曲を楽しんでいたのでいっしょに行ってやっぱりよかったわ。衣装を見ながら、重そうだね。踊るの大変じゃない?なんて言う辺りは、さすがジャニオタ……。デヴィッド・ボウイは踊るけど、ジャニーズのようなダンスはしなかったんだよ……などとマジで答える。変なやりとり。

 

とくに関心をもってたのは山本寛斎さんの衣装。今見ても、斬新だね〜。天才と天才の化学反応はすごいね!歌舞伎に通じる衣装だねなどと、ふたりで興奮する。山本寛斎さんのインタビューも上映されていたけれど、高度成長をへて日本が世界に輸出したのは工業製品だけではなく、ファッションに代表される文化であったことを改めて思う。

 

それと、西ドイツ側のベルリンの壁の前でのライブ。山田孝之さんのナレーションのビデオを食い入るように見ていた。今でいえば板門店の韓国側でライブを行うような感じ? 欧米のミュージシャンってこういう政治的な主張をするんだ!という驚きがあったようだ。

 

確かに、日本だとミュージシャンはそういう発言をあまりしないよね。でもデヴィッド・ボウイの影響を大いに受けた忌野清志郎さんも、あの浮かれた1980年代に反原発を歌ったり、それを販売しなかったレコード会社や、放送しなかったラジオ局をTVの生放送で揶揄したり、なかなか骨のある奴だったんだよ…などと思い出したり。浮かれた時代だったからできた反骨なのかもしれないな。今だったら、清志郎さんはなにを歌ったかな。

 

と横道にそれたが、私自身は、デヴィッド・ボウイのどんぴしゃ世代ではなく、後追いでがっつりはまったこともないので、そんなに詳しくはないと思っていたが、ああ、これ懐かしい。これも知っているというのが多かったのが自分でも意外だった。私レベルでも知っていることだけじゃなく、もっと、ディープな一面を見せてくれてもよかったのに。

 

そして、本当に美しいなとうっとり。若い頃もだけれど、年を重ねてスーツを着て歌う姿も本当に美しくて粋で、うっとり(二度目w)

 

若いころに出会った人たちが、どんどん歴史の中の人たちになっていくのはさびしいことだね。でも、音楽が今より文化に大きな影響を与えていた時代を体感できたのは、幸せなことだなと思う。

 

記念に何かグッズを買おうかと思ったが、あまり触手がのびず、結局、こんなムック本を買ってきた。朝日、神々ってくくり、好きだよね。

 

ロックの神々 HEROES (週刊朝日ムック)

ロックの神々 HEROES (週刊朝日ムック)

 

 

 

24時間テレビ雑感

8月27日、28日に放映された24時間テレビを見た。もちろん、全部じゃないけど。例年、最後のマラソンゴールを見るともなしに見るくらいで、正直、ほとんど見た記憶がない。昨日もリビングで仕事をしながら、テレビをつけたり消したりするという見方だったので断片的だが、それでも、いろいろ感じたことも多いので、思いつくままに。

 

感想を一言でいうと、忙しい番組だった。内容がぎっしり詰まっていて、どれも駆け足で流れていく感があり、イベント会場で行われている各ブースの催しを見ているような感覚になった。高校生の合唱選手権などはもうちょっとゆっくり見ていたかったのに、テレビのタイムスケジュールがそれを許してくれないのはなんとも残念。合唱選手権、またやってくれないかな。すがすがしくてとてもよかった。

 

そして番組全体のトーンとしては明るく、言われているほどお涙ちょうだいでもないし、感動のおしつけばかりでもないなとも思った。この辺りは人によって受け取り方が異なるし、制作側がどうしても「いい話」「ひたむきに頑張ってる」「成功してバンザイ」にまとめてしまう傾向があるので、なかなか難しいところではある。ただ、毎年必ず偽善だなんだと批判される番組に出ることの意味には、障害があるから頑張ってるのではなく「障害があっても普通に生きている、それは誰でも同じであることを、知って欲しい」という出演する側の思いや覚悟もあるはずで、そこはしっかり受け止めたいと思う。

 

また偽善だなんだと安易に批判する前に、こちら側に「見ると辛い。見世物にしないでくれ」という気持ちはないかという問いかけも必要なのかもしれない。それは障害者の「頑張り」を見て「力をもらった」と思う気持ちと背中合わせなんじゃないかなという気もする。

 

個人的によかったと思ったのは、福山型筋ジストロフィーという難病の女の子のおひるねアート、グレースさんという方のお笑い企画、腕に障害のある少女と芸人さんやメダリストの遠泳、よさこい、ダーツの旅……あたりかな。おひるねアートは気持ちが温かくなるような作品に仕上がり、VTRを見ている女の子も家族も本当にいい笑顔だった。こういう笑顔になれることが一番。そんな挑戦ができてよかったねと、ウルウルするような企画だった。

 

遠泳は、こんな海が荒れている中を……と最初は思ったが、メダリストと芸人さんと少女がリレーしながら泳ぐのは、足りないところを補いあいながらも、水平な関係の中で、力を発揮しあっているのが伝わってきた。もともと少女がかなりのスイマーであるからこそ成立した内容であるにしても、共生(共に生きる)ってこういうことなんじゃないかなと思った。24時間テレビ名物のマラソンもひとりで100㎞を走るより、駅伝のようにいろいろな人が繋いでいくような形にすると、その意義が変わるような気がする。

 

もちろん、すべてのコーナーがよかったかといえば、そうでもない。むむ、これはどうなんだろうという企画もあった。あえてどの企画とは書かないけれど、本人の意思を超えたことを「挑戦したい」と親御さんが言わせてない?その言葉にテレビ局が乗っかってない?と眉をひそめてしまったものもあった。本当のところはわからないが、そんな印象を抱いてしまった。

 

そう思ってしまうか否かの差は、当事者や周囲の人間の映し出されるものから何を感じ取るかの差なのだろう。見ている側はテレビに映し出される表情や言動から情報を得てしまうし、ちょっとした言葉に疑問を持ってしまったりもする。どんなに言葉を繕っても、そこで感じた疑問や印象はなかなかぬぐえない。その意味で、テレビって正直で、恐いメディアだなとも思う。

 

視聴者だって安易な感動話を見たいわけでは決してないし、感動を強制されるような展開は不快に思う。こういった番組の最終的な目的は、障害の有無に関わらず、皆が当たり前に生きていることを視聴者に伝えることであってほしいし、そういう社会のほうが、私たちも生きやすいんだよということも含めて伝わってくるような内容であってほしい。

 

いろいろ書いたけれど、去年、記事、24時間テレビは本当に地球を救っているのか? [ボランティア] All Aboutにも書いたように、全国ネットのテレビ局が40年近くチャリティ番組を続けているのはやっぱりすごいことと改めて思った。そのことに敬意を払いながらも、さまざまな声を受け止め、番組が良い方向に進化するといいんじゃないかなと思う。

 

などと、きれいにまとめてしまうが……。こういう紋切り型になりがちなところが「伝える」ことを生業にする人間の悪いくせかもしれないんだよな……。

梅仕事2016

今年もようやく梅を漬けた。梅干し5kgと梅酒1kg。3kgは生協で、3kgは市場の八百屋で調達してきた。去年も6月の最終週に市場で余っていた梅を持ってけ泥ボー状態で投げ売りしてたのを買ってきたのだが、今年はもう残りわずかで、割り引いてくれそうになかった(^^ゞ。八百屋のおやじさんが言うには、今年は例年より2週間くらい早くて、今になって品薄で価格があがり、もう、これが本当に最後なんだそうだ。

 

言われてみれば、スーパーに梅が5月半ば頃から並び始め、今年は早いなぁなどと思っていたのだが、数日前から赤ジソしか見なくなっていたな。そういうことなのか。この間、話を聞いた山梨の桃農家さんが今年は例年より1週間くらい収穫が早いと言っていたけれど、桃と梅は近縁だろうから、この手の果実の全国的な傾向なのだろうか。

 

梅干しは3kgを13%の塩で、2kgを18%で漬けた。通常は15%を目安にしているので、13%は私にしてはなかなかの冒険。この間、母親が直売所で買ったどこかの農家さんが作った梅干しを送ってきてくれたのだが、これが私の漬ける梅よりまろやかだった。食べ比べると私の梅干しは塩がきつい。15%でも比べると塩がきつく感じるって、何%で漬けたのだろう……と謎。なので、5%くらいの差があるとどのくらい違うものなのかと、試してみることにした。

 

振り返れば子どもが保育園で梅ジュースを作ってきて、うちでもやりたいと言われ、始めた梅仕事。もう10年以上になるな。当初は一緒にへたをとり、1個1個、酢で拭きながら作っていたのだが、いつのまにか私だけの楽しみになってしまった。梅ジュースはもう誰も飲まないので作るのをやめ、梅干しと梅酒だけになっている。うちでもやりたいと言い出しっぺだった娘は、まったく関心がなくなり、私がへたを取ってるそばでゴロゴロしながらスマホをいじっている。まぁ、そんなもんよね。梅酒を作り出して氷砂糖の封を切ったとたん、つまみ食いにやってくるのだけは変わりないけれど。子どもが大きくなると、手間もさほどかからない分、つまらないなぁなどと思うのは贅沢な悩みかな。

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習い事のやめさせ方

春から高校生になった娘が休んでいたピアノ教室にまた通うことになった。中学時代は部活漬けだったが、高校では同じ部活は選ばなかった。練習量の軽めの部活を選び、自分の時間が増えた分、真面目にやるから、やらせてくれという。もちろん、音大に行くなんていう不遜な考えは1ミリもない。あくまでも趣味としてだ。

 

趣味とはいえ、月謝の負担を考えると、「習いたいなら、ちゃんとやってよ。中途半端にやるならお金は出さないからね」と、きつめに釘を刺している。そのせいか、私の前では、思い出したようにハノンで指ならしをしたり、発表会で弾いた曲を奏でてみたりしている。あくまでも、私の前では……だが。

 

ピアノはさほど上手くはないが、励まし上手な先生のおかげでコツコツと練習しながら、中3の6月頃までは月に数回のレッスンになんとか通っていた。しかし、学校と部活と塾とで手一杯になってしまい、こりゃ無理だと親の判断で、やめさせた。本人は続けたがったのだが「受験が終わって、やりたかったら、またやればいいから。とりあえず、休もう」と言って、納得させたという経緯がある。先生も「待ってるからね」と言ってくださったので、ピアノも好きだが、ピアノ教室の先生が大好きというのも再開したい理由なのだろう。

 

保育園の頃から、お絵かき教室に始まり、ピアノ、水泳、習字と、習い事は、それなりにやらせてきた。家庭や学校では体験できないようなことをする”時間”と思ってきたので、上達云々に過度に期待せずに、やりたいと言い出したことはできるだけ習いに行かせた。そして、その経験から思うのは、「やめることの難しさ」だ。「やめさせる」と置き換えてもいいかもしれない。


習い始めは、子にも親にも、新しいことへのワクワク感や、上達していく先を夢みる楽しさがある。しかし、やめる頃は違う。最初の熱は子どもからなくなり、家で練習することを求められる習いごとなら、するしないで親子でバトルになっていたりする。なにより、子どもはとっくに持て余しているんだろう……というのが端から見ていてもわかるけれど、本人はなかなか「やめる」とは言わない。親が「もうやめたら?」とでも言おうものなら、「やめたくない。絶対にやめないから」と意固地になる。


あくまでもうちの子は……の話で、子どもの個性にもよるだろうし、男女差もあるかもしれない。ただ、やめることは、その習い事をあきらめることで、それは子どもにとっての自己否定になるんだろうなと思う。そこには、暗に親の期待を感じとって、それを裏切ってしまってはいけないという子どもなりの頑張りや、親子の関係も映し出されているのかもしれないなとも思う。そう考えると、あまりああだこうだと口を出したくない。

 

そこで、思いついたのが「休む」という言葉。「やりたくなったら、また習いに行けばいいし」と付け加えて、やめさせてきた。そして、その後、1度も「もう1回やりたい」とは言わなかった。「やっぱり……」と苦笑するしかないのだが、本人もやめたことでホッとした気分になったこともあっただろうなと思う。

 

高校生になったので、もう、新しい習い事を始めることもないと思う(塾や予備校は除く)ので「休んだら?」を口にすることもないだろう。また始めたいと言い出したのは、本人なりに思うところがあるのだろう。再開するなら、コツコツと練習して、「こんな風に弾けるようになりたい」と思う理想に近づければいいねと、見守るだけ。でも、月謝を出すのはあと3年。そのまま続けたいなら、高校を卒業後は、自分で月謝を払って行ってくれと思っている。進学したとしてもバイト代でなんとかできるだろうから。